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どうしても見つけ出したいと考えた―『才女の歴史』

 歴史上におそらくは存在したであろう女性教養人はいったいどこにいってしまったのか。人間の歴史とともにあるはずの学問の歴史と発展に、女性の関わりはなかったのだろうか。本書は、著者が抱いた疑問を元に、膨大な資料から25人の諸学で功績を残した女性教養人を描いたものです。

才女の歴史―古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち

才女の歴史―古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち

 

 まずはスポットを当てている時代が古代から啓蒙時代までと幅広く、且つ、学問分野も哲学、医学、数学、史学、天文学、化学、文学等々と、やっぱり幅広い。470頁超の筋トレ本ではありますが、登場する女性ひとりひとりがドラマチックに、生き生きと描かれており飽きることなく楽しめます。これまで高名な男性学者の助手や愛人として名が知られてきた女性学者の学問上の業績には驚きます。

 一読して感じたのは、本書に登場する女性は例外もあれど基本的には「恵まれた環境」にあったのだなということです。王侯貴族であったり裕福な家庭に属していたり、財産と立場が保証され、その上でパートナーたる男性(父親や兄や夫)が女性の学問に理解を示し、女性への逆風から守り、援助してくれている。幅広い学問分野、幅広い時代を取り上げた本だからこそ、彼ら「理解者である男性」の活躍も数多く紹介されています。女性教養人の歴史としてだけではなく、学問の歴史の流れを楽しむにも最適です。
 また、学問の歴史の流れを読む際には、宗教と自然科学の密接な関わりが印象的です。宗教改革に続く科学革命の流れや、修道院が女子が学問を修める場であったという歴史もおもしろいです。

 新古典主義の巨匠、ダヴィッドが描いたラヴォワジエ夫妻の肖像画は非常に有名でしょうが、著者の見解が面白いです。フランス革命時に断頭台の露と消えた「近代化学の父」アントワーヌ・ラヴォワジエとその妻マリー。マリーは夫のアシスタントとして名が残っていますが、実験計画や記録、図版の作成、最新研究情報の翻訳(夫は語学が苦手だった)を行い、夫と二人三脚で化学の発展に尽力している。

絵を見てまず飛び込んでくるのは、こちらをまっすぐに凝視するマリーだ。一方、アントワーヌは、振り仰ぐようにして妻を見上げている。妻は立ち姿で、夫は何やら書き物の最中である。ということは、この妻は夫が霊感(インスピレーション)を求める"科学の女神(ミューズ)"の象徴として描かれているのだろうか? マリーの背後には絵を描く道具があり、これは彼女が科学書の挿画を手がけるという重要な役割を担っていたことを示している。だが女神と呼ぶには彼女の姿は自信にあふれすぎているようにも映るわけで、この自らを頼むところ大である画中の女性、ラヴォワジエ夫人は、自身をして高位にあることをはっきりと自覚しているのだ。教育があり、科学者が集うサロンを主宰し、語学に通じ、科学上の業績も、夫に勝るとも劣らないことを十二分に承知している女性ーーそんな彼女の立場を、夫を見下ろせる立ち姿の構造がさらに強調している。

確かに、近代化学の父とその助手というよりも、近代化学の父母の肖像のように思えます。

 学びと研究への女性たちの情熱、そして共に歩んだ男性たちの協力と活躍の歴史の本です。

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ジム・シェパード『わかっていただけますかねえ』

 感情というのは手に負えない。感情に向かって何か言うと、向こうはべつのことを言ってくる。子供の頃、本で子供のことを読んでも自分に出会うことはまったくなかったけれど、大人について読むと、自分がいた。それはいつもわたしを喜ばせてくれた。今はなんだかじっくり考えられない。

 年末だからといって慌てて今年一番はこれとかあれとか言い出すのは如何なものかと思っていたのですが、どうも最近はNetflix、Hulu、U-NEXTの悪の枢軸によって海外の映画やドラマの消化のために本読めない状態の迷える子羊たちが周辺に転がっているので、ちょっと年末年始にこの一冊はお願いしますよという気持ちで、今年の一番としてジム・シェパードです。

わかっていただけますかねえ (エクス・リブリス)

わかっていただけますかねえ (エクス・リブリス)

 

 原題は『Like You'd Understand,Anyway』、『わかっていただけますかねえ』というタイトルだけど基本的にわかんない。なりきりおじさんのやりたい放題歴史フィクション短篇集。史実をもとにしてがっつりと参考文献と取っ組み合い、歴史の隙間を創作して一人称で語っていく。歴史小説は現在の倫理や作者の思想をもって、歴史を断罪していく作品も多いのですが、本書はあくまで一人称で、その語り手の目からしか見ない。読んでいる側からすると、やはり自己啓発やらエモーショナルな体験やらを求める助平心をもって頁をめくるのですが、特に読者に伝えたいことを蕩々と語ることなく終わる。啓発、しない。読み応えある長編小説を何本も書けるであろう材料を贅沢につかった、濃密な短篇小説でやりたい放題してくれている。憑依系おじさんによる一人称の良さが詰め込まれた本です。好き。大好き。

 憑依しているのは事故当時のチェルノブイリ原子力エネルギー局の技術主任だったり、古代ローマの書記官だったり、イエティ探している学者だったり、オーストラリア中南部の探検隊を指揮する男だったり、世界初の女性宇宙飛行士だったり、フランス革命時の死刑執行人だったり、アメフト選手だったり、サマーキャンプの子供だったりとさまざまなのですが、なりきりっぷりが凄まじく、読み進めるたびにGoogleで「これ、史実?どこまで創作?」と検索しまくることになります。そして全ての人が何ともいえない悲劇と、劇的ではないもやもやしたものを抱えており、無力でどうしよもなくて寂しくて、物語としてこの上なく愛おしい。淡々としてユーモアがあって愛すべき物語。
 兄弟の話がモチーフとして潜んでいる話が多くありますが、著者の精神的に不安定だった兄との関係が反映されているそうです。歴史の隙間の話に、著者自身の話がぬるぬるっと織り込まれているので、なりきり完成度が非常に高くなっている。人間関係の難しさだけではなく、愛情や納得のいかなさがあって、もう、たまらん。
 どの話も味わい深いのですが、これだけ憑依系傑作短篇がそろっていると、やはり好きな一篇というのがみつかると思いますので、年明けには各自でお気に入りの話について語ろうねみたいな希望を込めて。短篇だから、すぐに読めますから、海外ドラマの合間に。

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課題本について『よう、どう思った?』なんて聞くんだ―『プリズン・ブック・クラブ』

 アン・ウォームズリー著『プリズン・ブック・クラブ』を読みました。本をもっと読みたくなる名著でした。

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年

 

 カナダ在住の女性ジャーナリストが、「刑務所読書会支援の会」で活動する友人にちょっと強引に誘われて刑務所内の読書会に参加し、受刑者との交流をはかるノンフィクション。男性受刑者たちに囲まれての読書会というのは、8年前にロンドンで強盗に襲われ命を落としかけた経験がある著者にとってはハードルが高い。それでも著者は、判事であった亡き父親の言葉「人の善を信じれば、相手は必ず応えてくれるものだよ」を抱えてトロント近郊のコリンズ・ベイ刑務所に赴き、受刑者たちの読書会に参加することになります。

 読書会で取り上げる本はフィクションもあれば、自伝や回顧録、ハウツー本もあり、新しい話題の本から古典的名著までさまざまです。

 ノンフィクションなので、決してわかりやすい筋書きが用意されているわけではありません。一冊の名著によって受刑者が悪人から善人に生まれ変わるというような、単純な物語はありません。それでも、読書っていいなと思える。
刑務所読書会を通して数々の名著について激論を交わす場面はわくわくします。読書会のメンバーは、ある時は課題本の著者の矛盾を指摘し、ある時は連鎖する意見によって本を掘り起こし、ある時は多くの人の心に生涯残るかもしれない美しい感想を述べる。犯罪に関しての本、虐待や貧困に関しての本、人種差別や女性差別に関しての本への彼らの発言は、読書に対する切実な思いが伝わってくる。

 本を読み、話し合うことが、異なる人生をおくる人を繋げるという刺激的な希望のようなものを感じます。

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その時代に生きた人の率直な手紙―『注目すべき125通の手紙』

 『注目すべき125通の手紙』を読みました。とても面白かったのでご紹介します。

注目すべき125通の手紙:その時代に生きた人々の記憶

注目すべき125通の手紙:その時代に生きた人々の記憶

 

 どんな本なのかは、出版社のサイトから引用します。

女王陛下から作家、学者、俳優、市井の人たちまで、時代を越えて人々の心を動かす手紙125通を厳選、手紙原本と解説を添えて紹介する「手紙の博物館」。励ましの手紙もあれば、別れの手紙、抗議の手紙、恋の手紙、詫びの手紙もある。手紙に込められた人々の率直な思いを追体験することは、平凡な歴史書を読むよりもはるかに学ぶものがある。書架におき、折に触れて読み返したくなる1冊。

 本書はイギリスの人気ブログ「Letters of Note*1」が元になっています。古今東西(西欧が多め)の手紙、電報、メモ、FAXなどを収集したブログから、有名無名の人々の125通の手紙を紹介しています。

特徴としては手紙原本画像が添えられていることです(原本がない場合は差出人または受取人の写真やイラストが載っています)。直筆の手紙の文字やイラスト、図にはやはり味わいがあります。読みにくくお世辞にも美しいとは言えない筆記体文字が多いのですが、書き手の真摯な思い、叩きつけられた怒り、行き場のない迷い、宛先への嘲笑などが文字や紙、インクの汚れから読み取れそうな気がしてくるのです。タイプライターで打たれた手紙も多くありますが、紙の皺や文字のかすれ、末尾のサインからは容易にその手紙が書かれた瞬間が迫ってくるようです。

美しい便箋に書かれたものもありますし、社用便箋に書かれたもの、メモ用紙に書かれたものやココナッツの殻に刻まれたもの、地図の端に書かれたもの、手帳に書かれたもの、点字の手紙もあります。ほんのちょっとだけ、ご紹介しますね。ほんのちょっとです。

 

 世界一の有名人ともいえるアメリカ大統領への手紙は多い。

例えばエリザベス二世がアイゼンハワー米大統領に宛てた手紙には、ドロップスコーンのレシピが書かれている。「バルモラルでお約束したドロップスコーンのレシピをお送りしていなかたったことを思い出しました。今急いで書いています。おいしくできますように」。

ニクソン大統領には警察バッジの熱心なコレクターから麻薬危険薬物取締局のバッジをおねだりする手紙が届いている「まず、自己紹介をさせてください。私はエルヴィス・プレスリー、閣下に心服し、貴政権をおおいに尊敬している者です」。

ルーズベルト大統領へアメリカの36人の作家が連名で書いた電報がある。水晶の夜事件から1週間後に打たれたそれは、ナチスドイツとの完全なる決別を求め「我々にはもはや沈黙している権利はないと感じています」と訴えている。

 

 家族の間の手紙も何かしら迫ってくるものが多くあります。

息子へ宛てた図が多い整理された手紙の書き出しは「ジム・ワトソンとパパはとても重要な発見をしたみたいだ。Dex-oxi-ribose-nucleic-acid(デオキシリボ核酸:慎重に読むこと)、略してDNAの構造モデルを完成されたのだ」となっており、書き手はフランシス・クリック

カート・ヴォネガットが父へ送った手紙には戦争捕虜となり、食肉処理場の地下に監禁された際の死と苦しみに満ちたつらい経験が綴られている。量産される死の世界で生き残った彼は、後に、この体験から『スローターハウス5』を生み出す。

病院の記録保存庫から発見された統合失調症の女性が夫に宛てた手紙は真っ黒に文字が重ね書きされている。「来て、来て、来て」と夫に繰り返した手紙は、どれも投函されることはなかった。

 

 手紙には死の直前に書かれたものもあります。

死刑宣告をされた獄中のスコットランド女王メアリー・スチュアートから義弟アンリ三世へ送られた手紙には、繰り返し自身の召使の身の振り方についてよろしく頼む旨が綴られている。女王は手紙を書いた6時間後に断頭台へ送られている。 

大坂夏の陣に出陣した木村重成に妻が書いた別れの手紙がある。「最後の戦いに出られるとのこと、その壮大な瞬間をわかちあうことはできませんが、うれしく存じております」死出の道でお待ち申し上げます、と手紙は続く。

連合国艦隊に特攻した久野正信から5歳と2歳の子供たちに宛てた手紙は「父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル」から始まる。

生涯精神の病に苦しめられたヴァージニア・ウルフは夫に宛てた手紙を死の直前に書いている。「またおかしくなりそうだとはっきりわかります」から始まるそれは、最愛の夫への愛の言葉が詰まっている。「私たちほど幸せな2人はいなかったと思っています」と書いた後、ヴァージニアは川に身を投げた。コートのポケットには重たい石が詰め込まれていた。

 

 もはやこの世にいない死者に向けた手紙(ファインマンが亡き妻に書いた手紙「追伸:すまないが投函はしないよ。きみの今の住所を知らないんだ」)、卑劣な脅迫状への痛烈な返信(人種差別主義者の脅迫状へのアラバマ州検事総長からの返信は一言「寝言は寝て言え」)、緊急事態を告げる電報(1941年12月7日ハワイ地域の全船舶へのラムゼー少佐の「真珠湾、空襲される。これは演習ではない」)、ファンレターへの返信、映画への出演依頼、結婚する息子へ真の男らしさとは何かを示した父の手紙、子供からの素朴な手紙とそれへの返信…などなど、様々な手紙からはそれぞれの喜怒哀楽が浮かび上がってきます。手元においておき、少しずつ、何度も手に取って読むのに相応しい本だと思います。

 

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わたしたち園芸家は、未来に対して生きている。―カレル・チャペック『園芸家の一年』

 プラハが舞台になっている映画や小説を楽しむと、いつもチェコという国は「オタク国」だなと薄らと感じてしまう。もちろんオタク魂を持った人は世界中にいる。でも、国としてのオタク国となるとイギリス、日本、そしてチェコが思い浮かぶのです。それぞれ蒐集、詳解、技巧と異なるオタク面を見せつつも、オタク国は基本的にオタク個人を野放しにして面白がる点は共通している。

 チェコのオタク文化は飄々として淡々としているイメージがあります。恐らく、チェコと言えばカレル・チャペックが真っ先に思い浮かぶからでしょう。彼の本業は劇作家であり評論家。しかし、日本では児童文学作家、『一つのポケットから出た話』のミステリ作家、『ダーシェンカ』の愛犬家、兄ヨゼフと共に『ロボット』という言葉を生み出した戯曲家、そして園芸家のイメージが強いかもしれません。影響力があり多くの側面を見せるカレル・チャペックの園芸オタクっぷりがよくわかるのが『園芸家の一年』です。

 『園芸家の一年』(『園芸家の12ヶ月』として馴染んだ方も多いかも)は園芸オタクであった著者が綴った園芸愛あふれる不朽の名作。訳書は複数回出ています。久しぶりに読み直したら、やはり面白かった。

園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)

園芸家の一年 (平凡社ライブラリー)

 

(文中の引用は全て、飯島周さんの訳された平凡社ライブラリー版に拠っています)

  本書はユーモアと皮肉によって綴られた園芸オタクの随筆です。ただただ面白い随筆として読むことも可能ですし、季節の中での庭の自然を楽しむ手引書としても優れています、また、園芸という人が自然の片鱗に対峙する趣味の中で見出す人間心理の物語としても読めます。ここではオタクあるある話として見ていきましょう。

 オタクたるもの、対象をひたすら愛する。馬糞を抱えて庭の中心で愛を語る。

さて、この芳香を、園芸家はすでにあの厩肥の、湯気を立てる藁の山の中に感じている。その香りに酔いながらも注意して、この神の贈り物を庭一面にばらまく。それはまるで、ひと切れのパンにマーマレードを塗って自分の子供たちに与えているようだ。さあ、おまえにやるよ、おでぶちゃん、おいしく食べろよ!マダム・エリオ、あなたには丸ごと、ひと山さし上げよう、あんなに美しくブロンズ色に咲いてくれたことのお返しだ。カツミレよ、なにも言わずに、この馬糞のごちそうを受け取ってくれ。そしておまえには、この褐色の藁を広げてやるよ、嫉妬深いフロックスよ。
 なぜ鼻をそむけるんだ、みんな? わたしがこんなによい香りをさせているのに?

  オタクたるもの、対象を分類してみたくなる。

カフェにはカフェの植物が、そしてまた、燻製食品店には別のものが繁茂していること、植物のある種ある属はどこそこの駅で、別のある種ある属は線路の番人小屋のところで、とくに元気がよいことに気がつく。詳細に比較して研究すれば多くのことが証明されるだろう。

(この後、実際に「停車場植物」「鉄道植物」「肉屋植物」「飲食店植物」と分類している)

  オタクたるもの、対象を早口で羅列する。

これらのありとあらゆるミニチュアのカンパニュラ、ユキノシタ、ムシトリナデシコ、クワガタソウ、ノミノツヅリ、(中略)リンドウ、タカネミミナグサ、アルメリア、ウンラン(また中略)ミヤマカラクサナズナと、イチョウシダと、グンバイナズナ、エチオネーマ、さらにもちろん、キンギョソウ(またまた中略)さらに劣らず重要な、たとえばサクラソウ、ミヤマスミレなども忘れてはならない(またまた中略)これらの花々を苦労して育てたことのない人には、この世の美しきものすべてについて語らせるわけにはいかない。

 オタクたるもの、対象にはいつだって恐れと不安も抱いている。

三日目には、長い白い小さな足の上になにかが生えてきて、狂ったように大きくなっていく。さあでてきたぞと大声で叫ばんばかりに喜び、初めての小さな芽吹きを、まるで瞳のごとく大切に取り扱う。四日目になって、その小さな芽が信じられぬほどの長さにのびたとき、これは雑草かもしれない、という不安が頭をもたげる。鉢のなかで成長する、最初の長い細いものは、つねに雑草なのだ。

  オタクたるもの、対象のために買いまくり、家人に叱られる。

球根はまだいくつか残っているのに、鉢がもうないことに気づく。そこで鉢をいくつか買い足す。ところが今度は、球根はもうなくなったのに、鉢と培養土が余っていることを発見する。そこで、さらに球根をいくつか買い足すが、今度は土が足りなくなったので、新しく培養土をひと袋買う。するとまた、土が余る。その土を捨てたくないので、また、鉢と球根を買い足す。
 こんなやり方をさらにつづけていると、ついには、家人から禁止命令を下される。

  このように、何かに熱中しているオタク人間の滑稽さと愛おしさを描く中で、人間と人間社会に対する非常に鋭い洞察も飄々と織り交ぜている。それはシリアス顔でありながら常にユーモアを感じる文章の中で、絶妙なタイミングで繰り出される一文であり、これに関しては実際に本書にあたって頂きたい。ポーカーフェースで冗談を言い、大げさな誇張と大胆な比喩に笑って、そして泣いてほしい。

 

 カレル・チャペックは冬の嵐の日に、庭仕事をしたせいで1938年のクリスマスに肺炎になって亡くなっている。愛する庭に殺されたようなものとも思えるが、しかし、もしも生きていたらどうなったでしょうか。

カレル・チャペックファシズム批判的要素のある作品を多く発表した作家でした。脅迫を受けても亡命を選ばず、チェコで生きていた。そして彼の死を知らぬナチス・ドイツのゲシュタポは1939年に彼の屋敷に押し入っている。もちろん、この反ファシズムの「危険人物」を逮捕して収監するために。実際に、彼の兄であり、本書にも多くの挿絵を寄せているヨゼフ・チャペックは風刺漫画を問題視されて逮捕され、ベルゲン・ベルゼン強制収容所*1で命を落としている。どのような死が良き死かと考えることは不謹慎で愚かかもしれませんが、庭に命を捧げることができなければ、カレル・チャペックもまた強制収容所で非業の死を遂げていたでしょう。

 恐怖の嵐が吹き荒れる時代の中で綴られた『園芸家の一年』では徹底的に政治が無視されている。庭で土をいじり、肥料を混ぜ込み、ホースに悪戦苦闘して水をまき、種を植え、水をやり、芽吹きをまっている。そればかり。荒れ狂う政治と恐怖の時代を無視するという究極の皮肉を、本書はやってのけているのです。

 もちろん、そんなことは考えなくても楽しめます。何度だって笑えるのんびりとした園芸随筆なのですから。

真正の、最善のものは、わたしたちの前方、未来にある。これからの一年、また一年は、成長と美を加えていく。神様のおかげで、ありがたいことに、わたしたちはまたもう一年、未来に進むのだ!

残された庭の植物たちは、恐怖の時代に踏み荒らされても、もう土の下で芽の形で存在していたのでしょう。

 

 

ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)

ボタニカル・ライフ―植物生活 (新潮文庫)

 

 平凡社版『園芸家の一年』に解説を寄せている、いとうせいこうさんの園芸家エッセイ

 

ビールと古本のプラハ (白水Uブックス―エッセイの小径)

ビールと古本のプラハ (白水Uブックス―エッセイの小径)

 

 チェコと言えばこの本も大好き。タイトルが素晴らしい。

 

*1:アンネ・フランクが亡くなった収容所として有名

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もしも愛する人の背中をタランチュラがテクテク登っていたらどうする?―『その道のプロに聞く 生きものの持ちかた』

 年度末でアナコンダに噛まれたレベルで生活ズタズタなのですが『その道のプロに聞く 生きものの持ちかた』がとても面白かったのでご紹介します。

その道のプロに聞く生きものの持ちかた

その道のプロに聞く生きものの持ちかた

 

 本書はカブトムシやトンボなどの身近な生き物や、猫や犬やハムスターなどのペットとしておなじみの生き物、そして毒蛇やワニガメなどの危険生物まで、その道のプロ(獣医師、ペットショップオーナー、爬虫類専門店主、動物園長)が持ちかたを伝授する正しい持ちかたの専門書です。

 例えば、あなたがある朝通勤や通学のために玄関扉を開けた途端、目の前にニワトリとヒヨコがいたとする。こんな世の中ですから、何が起こるか分かりません。ニワトリなんて楽勝だと思っていると大変なことになります。実は意外な危険動物なのです。

オスのニワトリと戦ったことがある方ならご存じだろうが、ニワトリって本当に怖い!飛びかかって前蹴りをくらえば、その鋭い蹴爪(または距爪)でズボンは裂け、こちらの反撃は難なくかわされ、次の瞬間その立派なクチバシで的確に弱点を攻めてくる!

動物のお医者さん』のヒヨちゃんの凶暴さはリアルなのだ。そんな凶暴なニワトリと玄関で対峙することになった通勤通学前のあなた。どうすればいいのでしょうか。

勝負は一発で

まずは殺気を消し、さりげなく近づきます。そして距離を上手くつめることができたら、ニワトリが距離を保つため、後ろを向いたところを、両手で羽を包みこむように「がばっ」と持ってしまいましょう。一発で決めるのがコツ!

 そして一緒にいるヒヨコは、野球のボールを投げる時のような指使いで、首の両サイドから全身を優しく包み込むように握るのが安全な持ちかた。写真も大きく載っているのでわかりやすいです。

 

 無事に通勤通学できて安心したあなたの机の上に大型犬グレート・ピレニーズが座り込んでいた。どうしよう、始業時刻まで間がない。とりあえずこの体高80cm体重45kgの大型犬にどいてもらわないといけない。ついつい前足を肩にかけて腰から尻に手をまわし支えようとするが、これはお勧めできない持ちかたです。もし大型犬が暴れだしたらキックをされてしまいますし、おさえられなくて落下してしまった場合は犬がうまく着地できません。そしてあなたにも犬にも腰の負担がかかってしまう。

 最も安全な持ちかたは、胸から前足の付け根と後ろ足を後方から手をまわして持ちあげるこれ。この方法なら、自然な型で全身をおさえることができますし、もし落下しそうになってもと落ち着いて下ろしてあげれば、そのままの姿勢で安全に立つことができます。

 大型犬、中型犬、小型犬の持ちかたが写真と共に解説されているので、正しい持ちかたがわかります。また、基本的には正しい持ちかたで対応できるのですが、獣医さんが治療する場合など犬や猫をおさえつけなければならないこともある。そんなホールド魂(生きものを安全、的確に保定する高い精神性)の真骨頂たるおさえつけ方も本書にはあります。

 

 帰宅中のあなたの目の前に、ヒキガエルが飛び出してきた。そして後ろからは大型特殊車両の音が迫りくる。まずい!このままではヒキガエルが車に潰されてしまう!あわててヒキガエルを両手で包みこもうとするがカエルは大暴れ。しかもヒキガエルは実は毒を出す。安全に持って助けるためにはどうすればいいのでしょう。

ヒキガエルは、目の後ろの耳腺に毒を持っていて、危険を感じると、白いネバネバした毒性のある液体を出すことがある。その白いネバネバは背中から分泌させることもあるので、念のため分泌する箇所をさけて、腰をつまみ上げます。暴れるようなら後ろ足も手のひらで包んでしまいましょう。

 このように、日常にありがちなシチュエーションだけではなく、非常に危険な生き物の持ちかたも丁寧に手順を追って説明されている。マダニやセアカゴケグモの日本での生息もニュースになっている昨今、サソリやタランチュラの持ちかたも知っておいて損ではないはずです。

 

著者の松橋さんは生きものカメラマン。このような本を書くくらいだから、どんな生きものでも持ってしまおう精神あふれる人なのかと思いきや、そういうわけでもない。

キノコ採り名人がキノコの毒にあたるなんてこともあるように、たとえ知っているつもりでも間違うことだってある。この際、割り切って自分の知識にない生きものや疑わしい生きものは持たないという判断を下す……それも勇気だ。

私はカメラマンとして、いろいろな生きものに接しているが、スタジオ撮影など必要にかられない限り、生きものをわざわざ持ったりはしない。知らない生きものには絶対にふれない!

 例えばオオコノハズクのページでは、野生生物がヒトに触られるとそれだけで相当なストレスとなり、ショック死しかねないと警告している。その上で、タオルで赤ちゃんのように包み持つ方法が指南される。

ならば、なぜ持ちかたの紹介本なのか。その理由は「おわりに」にある著者の言葉で明確に示されている。少し長いけれども引用します。

子どもの頃から生きものが大好きで、なんでも捕まえては飼育して、噛まれて、刺されて、ケガをして、時には自分の無知から生きものを死なせてしまったりもして……。
こうして生き物に興味を持ち、自らいろいろと経験してきた人間は、大人になっても、ついついそんな生きものがいる環境を意識してしまうものです。
私のことです。
今は、生きものや自然への教育が「保護」の観点から「見守る」「大切にする」ということを優先させがちです。そうした情操教育により、一般的には生きものを捕まえて飼うのはいけない、という傾向にあるようです。(略)
こうして生きものは捕まえてはいけないものとして、子どもたちの関心は、あっちに向いてしまいました。子どもたちがあっちを向いた結果が、生きものへの無知を生みます。

 とにかく楽しい本ですが、生きものを持つということは、「その生きものの体の構造をよく知り、習性を理解し、個体を観察し、負担をかけずに、こちらも怪我をせずに接する」ことに他ならない。持ちかた、というのは多くの生きものと共に生きるための鍵なのです。

 

 本書では持ちかた以外にも、ハリネズミの爪切りや、危険生物の解説、カブトムシに離してもらう方法、生きものに会いに行くときに鞄に詰め込む道具など、豊富な写真と共に実践的な生きものとの接し方が書かれています。獣医師とペットショップオーナーで目的によって持ちかたが異なる生きものも紹介されており、様々なシチュエーションで私たちが生きものと付き合っていることがよくわかります。

きれいな写真とユーモラスな筆致ゆえに、のんびりと眺めて楽しめる本ですが、生きものの知識と観察を重視する姿勢がきちんと貫かれています。「持ちかた」は意外にも深いテーマなのですね。

 

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どんなものでも自由に作れる―『レゴはなぜ世界で愛され続けているのか』

 子供が部屋中にばら撒いたカラフルな直方体を素足で踏んで今日も叫ぶ。ソファーの下にも掃除機の中にも存在する愛しくも憎いあのレゴブロックを作る企業の歴史と経営戦略の遷移を書いた『レゴはなぜ世界で愛され続けているのか』を読みました。原題は「Brick by Brick: How LEGO Rewrote the Rules of Innovation and Conquered the Global Toy Industry」、著者のペンシルバニア大学ウォートン・スクールのデビット・C・ロバートソン教授は本書の執筆のために5年間にわたってレゴ関係者にヒアリングを実施しています。

レゴはなぜ世界で愛され続けているのか 最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理

レゴはなぜ世界で愛され続けているのか 最高のブランドを支えるイノベーション7つの真理

 

  憎たらしいほどにどこにでも潜り込むあの素敵な直方体のブロックたちは、玩具として圧倒的な知名度を誇っているのに、それを作っている企業のこととなるとあまり知られていません。デンマークのビルンという小さな町で1932年に大工さんが作った会社、社名のLEGOデンマーク語の「よく遊べ」を意味するleg godtの頭文字の組み合わせ…こんな明日にでも子供に披露できる豆知識ももちろん書かれていますが、本書の主題は企業の栄光の発展と大赤字による転落、そしてそこからの奇跡の回復とブランド復権のなかでレゴがとってきたイノベーション戦略の構築です。

目次をざざっと見てみましょう。

第1部 レゴのイノベーションはいかにして生まれたのか
第1章 レゴブロックの誕生――ブランドを支える6つの基本理念
第2章 スター・ウォーズを受け入れられるか――加速するイノベーションと試される理念
第3章 3億ドルの大赤字――暴走したイノベーションのなれの果て

第2部 イノベーションの「7つの真理」をきわめる
第4章 レゴらしさを取り戻せ――イノベーション文化を築く
第5章 レゴシティの復活――顧客主導型になる
第6章 バイオニクル年代記――全方位のイノベーションを探る
第7章 マインドストームアーキテクチャー、ファンの知恵――オープンイノベーションを推し進める
第8章 スターをめざしたレゴユニバース――破壊的イノベーションを試みる
第9章 レゴゲームの誕生――ブルー・オーシャンに漕ぎ出す
第10章 ニンジャゴーというビックバン――創造性と多様性に富んだ人材を活用する
第11章 ブランド復権――レゴの改革

 第1部は創業からの発展と栄光の時代、そして暗転し2003年に3億ドルの赤字を抱えての大崩壊について。第2部は崩壊したレゴがイノベーションの再構築により復活していく様子が書かれている。堅牢な老舗企業のイメージがあったレゴですが、10年ちょっと前には倒産の危機に瀕していたわけです。レゴを経営危機に陥れたイノベーションの暴走とマネジメントの失敗、新製品の数多くの失敗例、そして人事刷新などの内実もぎっちりと書かれており、大丈夫なんだろうかここまで書いちゃってと心配になってくるくらいです。

 ポッチとチューブによる連結でカチリとはまり簡単にははずれない高い品質、シリーズを越えて繋がる統合性を持ち、創造性と想像性を養うブロック玩具の帝王を襲ったのは、連結式ブロックの特許期限切れによる新規参入企業の増加や、電子ゲームの波(ファミコン(1983~)、スーパーファミコン(1990~)、ゲームボーイ(1989~))、子供の生活の変化でした。レゴの重役は「もはやブロックは時代遅れ」だと焦り、伝統を捨て、大胆な改革と新シリーズを立ち上げ、徹底的に古いレゴを破壊しようとした。1998年当時レゴ社のCEOポール・プローメン氏によって経営の新機軸として打ち出された七つの行動指針(イノベーション)は、あまりにも短期間に行われたため社内管理が追い付かず、業績不振を招く。しかし、その後、経営陣を刷新し、七つの行動方針の導入のための社内ルール策定等を継続的に実施し続けた結果、レゴ社は新たな製品をいくつも成功させ現在のような世界的なブランドとしての地位を築きます。

 本書はイノベーション戦略の教科書としても、レゴという企業の歴史書としても読めます。企業経営やイノベーションの実現という切り口からも、現在も愛される玩具たちの誕生秘話としても楽しめます。

 私には(申し訳ないのですが)(本当にひどいなと思うのですが)、レゴの行動方針が迷走し、全く組立要素のない引っ張ると電子音が奏でられる玩具やヒーローの玩具などを市場に投入していく、いわば「大失敗」の時期の話がとても印象的でした。大赤字の引き金となるそれら商品は、現在ならば「レゴらしくない」と思えても、当時のレゴ関係者にとっては古い文化を破壊してくれる力強い新製品たちだった。玩具業界の変化スピードに戸惑い、レゴブロックを時代遅れで孤独な遊びだと思い込んだ故の急激な大改革は一時は失敗に終わります。その後に、レゴは過去に例のないほどの大規模な顧客調査を実施しますが、その結果は当時のレゴ経営陣の思い込みとは異なっていた。

レゴが好きな子どもも、ふつうの子どもだったということだ。わずかにテレビの視聴時間が長く、いくらか読書量が多かったが、おもな面ではほかの子どもとまったく変わらなかった。スポーツもすれば、テレビゲームでも遊ぶし、音楽も聞けば、友だちと出歩いたりもした。(略)レゴ好きの子どもにとって、テレビゲームとブロックとは排除し合う関係ではなかったのだ。Xboxにのめり込んでいるから、レゴのスター・ウォーズシリーズには興味がないかと言えば、必ずしもそんなことはなかった。

何より重要なのは、レゴ好きの子どもは小さなプラスチックのブロックで遊んではいても、嫌われ者ではなかったことだ。この調査では、レゴ好きの子どもは賢く、たいがい仲間からもよく思われていることが示されていた。レゴが世界中で愛されるおもちゃであることを考えたら、これは当然の結果だったかもしれない。

レゴはこういった顧客調査とさまざまな顧客テスト、そしてそれを活用したルール作りにより製品改良を行い、新製品開発に必要な具体的なアクションをとれるようになっていきます。

現在もレゴはオンラインゲームで失敗したり、ボードゲームに参入して成功したりしています。古くから変わらない老舗玩具企業にみえて、意外にも激動の中を走るレゴ。その繁栄を願う著者の言葉を最後に引用しておきます。

一九九八~二〇〇三年にかけての迷走を、「二度と繰り返してはならない」とレゴの経営陣は肝に銘じている。筆者も、レゴの繁栄が続くことを心より願う。レゴがあるだけで、世界はいくらか賢くなり、いくらか創造性が豊かになり、この上なく楽しくなるのだから。

表紙の黄色いミニフィグ人形の笑顔にも、なかなか波瀾万丈の歴史があったのですね。

 

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