山田風太郎『育児日記』

 赤ワインを赤ちゃんに飲ませて寝かしつけをしちゃう山田風太郎の『育児日記』を読みました。
 山田風太郎の『育児日記』は昭和29年の長女 佳織さんの誕生から中学入学まで(長男 知樹さんは誕生から小学四年まで)の子供の観察日記です。普段の日記から子供に関する部分を抜粋し、娘の結婚の際にプレゼントしたもの。
 山田風太郎東京医科大学出身なので、大雑把なラベリングでは理系男子となりますが、私は理系男子が子供に関して書いた文が大好物です。変に面白く書いてやろうという気負いがなく、少し冷徹で冷静な筆致での愛情ある文章にときめく。

 昭和のお父さんと言えば育児も家事もノータッチなイメージがありますが、居職ということもあり山田風太郎は「本当によく遊んでくれた父(佳織さんの言葉より)」だったようで、深夜に泣く赤ちゃんを抱きかかえながら仕事をしたという記述もあります。作家らしさ、医学部出身者らしさ、そして普通の親父らしさが混在した日記です。

子どもの顔を見たらユーゼンとして父性愛を生ずるかと思いしに、ちっとも生ぜず、上野博物館にある南米の土人の首を乾かし固めかためたやつみたいな顔を見ながら憮然としている。
11月6日(土)晴 赤ん坊、いまだその大脳は灰白質、白質分化せず、従って耳も よく聞こえず眼も見えぬはずなり。しかるに柔らかきベッドに置きて泣き、不器用なる父に抱かるれば泣きやむはなんぞ。決して肉体的快不快の問題にあるざるは明白なり、そもそも人間には大脳、感覚以外に孤独を怖れ人肌を恋う本能あるか。

 生まれたばかりの赤ちゃんをよく観察していることが伝わってきます。

 

もし佳織が死んだらどうするかと聞いたら啓子曰く「死んでも一週間くらいは抱いて寝る。」それから又曰く「あなたは風呂にゆかないから死んだらすぐ埋めてしまいます」と

 山田風太郎の戦後の日記には奥さんとの恋愛と新婚生活が描かれているのですが、いつもユーモアのあるご夫婦だったようですね。「戦中派復興日記」での啓子夫人との結婚前後の日記も味わい深くて大好きです。

 

夜五十嵐家で麻雀しようとしたれども佳織泣きわめきて啓子加わる能わず。従って麻雀出来ず。大いに腹を立て牌を佳織の頭に叩きつける。啓子曰く「三十三になって、九ヶ月の赤ん坊とケンカするのか」と。

 山田風太郎、赤ちゃんの頭に麻雀牌を叩きつける。赤ワインを飲ませるだけではなく、こういったインターネットがなくてよかったです的な記述もあります。

 

子どもの名、当用漢字にあって、字がきれいで、意味があって、発音が良くて、ほかに例がなく、しかもあまりヒネリ過ぎないものとなると困惑せざるを得ない。「知樹」とす。さてこの子の生涯の運命やいかに。

 山田風太郎、命名に頭をひねっています。いつの時代も命名の悩みは同じですね。
子供の教育や躾に関しては時々奥さんと喧嘩にもなっていたようです。これもまた、どの家庭でもよくある光景です。

よい学校にいれてやるのは、クレヨンを与えるに似ている。親としてはなるべくよいクレヨンを数多く与えてやるのが義務であろう。しかし、それを以て人生の絵のを描くのは、ついに子供の天性の技量である。
子供というものは、存在するだけで親はその報酬を受けている。テーブルの向こうに小さな赤い顔をならべて飯をくっている風景、午後になると佳織は学校から、夕方になると知樹は外から「タダイマー」と声はりあげて帰って来る声、それで充分である。


 子供を見つめる幸福が伝わってくる記述です。熱意と遊び心と愛情と冷徹が混在した、堂々たる育児日記。玩具や育児用品の値段も記されており、昭和中期の育児の記録としても価値があるのではないでしょうか。 

山田風太郎育児日記

山田風太郎育児日記