朝ドラ「松谷みよ子」がみたいです。―『自伝 じょうちゃん』『小説・捨てていく話』

むかしむかし、きのうのきのうくらいむかし、じいさまとばあさまがありました。
じいさまは山へ毎日木を伐りに行っていましたが、あるとき、弁当を食おうとひろげたら、雀がみんな食べてしまっていて、くうくう昼寝をしていました。あんまり可愛いので懐に入れて帰り、ちょんよ、ちょんよと可愛がりました。一羽、二羽、山の雀はだんだんふえて五羽になり、じいさまはばあさまのことなどふりむきもしませんでした。
ある夜、ばあさまが胸苦しいので目を覚ますと、おちょん雀も他の雀も娘姿で、ばあさまの上を踏んで歩いていました。次の朝、目をさますとやっぱり雀です。
雀はばあさまの煮た糊をちゅんちゅんとみんななめてしまいました。叱りますと雀たちはぱっとこちらをむいて、いっせいにばあさまを睨みつけました。
ばあさまは怖くなって、逃げ出しました。

 

朝ドラ(NHK連続テレビ小説)の主人公として、松谷みよ子さんはどうだろうかと思っていたことがある。
朝ドラといえば、「逆境に負けず、たくましく生きる女性」が主人公で、同時に「太平洋戦争と戦後混乱期を乗り越えた女性の一代記」が多い印象があります。松谷さんは児童文学作家として著名で、『モモちゃんとアカネちゃんの本』シリーズは幼い子供に長く愛されている名著ですし、刊行当時0歳向けの本として画期的だった『いないいないばあ』などの絵本も現役のベストセラー絵本。そして、青春時代が戦争にあたり、陳腐な言葉ではありますが波乱万丈な人生を送っていらっしゃる。

 

先日、『自伝 じょうちゃん』を再読していたところ、小学生時代の思い出として「もうひとり、忘れられない同級生は宮崎蕗子さんである。宮崎龍之介氏と白蓮(旧姓・柳原)夫人の娘で狐塚のたしか上り屋敷寄りに家があった」という形で、友人を回想している箇所に気づきました。
白蓮夫人(柳原白蓮)といえば、昨年の朝ドラ「花子とアン」でも村岡花子の友人として登場し、仲間由紀恵さんが演じて大変な人気になったとか。なにかの縁も感じ、やはり「朝ドラ 松谷みよ子」をみてみたいと思ったのです。

『自伝 じょうちゃん』では、社会派弁護士で後に代議士ともなった松谷與二郎の末娘として誕生し、お嬢ちゃんとしての幼少期、父の死、戦争と貧困と疎開、恩師と友人たち、結婚と出産、そして離婚が瑞々しくも淡々とした文章で語られる。
『小説・捨てていく話』では、夫であり人形劇団の主宰者である瀬川拓男さんとの離婚が描かれています。『モモちゃん』シリーズで登場する“パパを残してのお引越し”や“靴だけが帰ってくるパパ”そして“死に神”の訪問など、不穏なモチーフが実際に松谷さんの身に起きた出来事なのだということが語られ、その凄みに震えることになる。

姉が「お嬢様」だから、その対として「お嬢ちゃん」の意で家族やお手伝いさんから「じょうちゃん」と呼ばれて育った幼少期。他称であった「じょうちゃん」を、みよ子さんは自称として使うようになる。弁護士で議員だった父(虎ノ門事件で難波大助の弁護人を務めた)の交通事故死によって、生活は困窮し、継ぎ布でふくれた靴下を履いて登校する。お父さんが健在だった頃に高度な教育を受けた兄や姉と比べると、進学もままならないのは、仕方が無いとはいえ残酷なことに思えます。
時代は戦争に向かい、兄たちは学徒出陣により出征。自らは命を投げ出すことを厭わずに“軍国の乙女”として女子挺身隊に応募したというのも、みよ子さんの後の作品にも見えるピュアな部分を感じさせます。やがて空襲を避け長野に疎開、そこで生涯の師・坪田譲治と出会う。戦後は横浜興信銀行(現・横浜銀行)従業員組合で働き、機関誌を刊行。処女作の出版と受賞。結核療養。片倉工業の人形劇サークルで瀬川拓男氏と出会い、結婚。闘病、そして出産と離婚。

美しい母、華のある8歳年上の姉、そして2人の兄。戦中、戦後の社会的状況の厳しい中、戸惑いながらも家族を支えて奔走するのは、何故かいつも末っ子のみよ子さんなのです。
兄二人が出征し、姉の夫は結核療養中のなか、美しく教養はあるが生活力が弱い母と姉と甥を養うため、仕事を見つけ、疎開先に荷物を運び(命がけで運んだ荷物に文句を言われ)、新しい土地で生活を始める。必死で生活環境を整えたのに、あるとき姉夫婦に出ていくようにいわれ追われるように別の住まいを探すことになる。姉の夫が病死したら、リヤカーに乗せて焼き場へ運ぶ。
戦争が終わって長兄が戻ってきたとき、東京の家が焼失したあとにふたたび都内に地盤を築けていなかったことについて、末っ子で女の子のみよ子さんを責める。そして、それに応えようとまた奔走する。そうでありながら、結核(義兄から姉経由での感染とみられる)に倒れたみよ子さんが入院しているあいだに、母と姉は、彼女が家(みよ子さんが確保したアパート)に戻ってこないように算段している。―「その母までが姉といっしょに「みよ子を引き取ってください」と先生におねがいにいったというのである。」―あんまりだと思うのです。
しかし、そういったことは決して恨み言としてではなく、さらさらと振り返るように、遠い情景を描くように書かれている。そして戦中戦後の厳しい時代でも、親身になって動いてくれる恩師や友人のサポートに心が温まります。行きずりの手相見から「あんたは身内より友達に助けられるよ」と言われる挿話があるのですが、この占いのなんと当たっていること。

夫・瀬川拓男さんとの結婚は実に色々な人から反対されていたようです。病に倒れたみよ子さんを看護し続けた瀬川氏は、結婚後すぐに「劇団太郎座」を立ち上げて主宰・運営にあたる。劇団メンバーが入り乱れる雑居生活は、みよ子さんの体の負担になっていることが伺えます。

新居のために借りた家は、私に突然肺の手術を受けるようにという指示が出たため、結婚も延期となり、男たちの住処となりました。共同炊事、共炊という私には耳慣れない言葉がとびだし、男たちはかわるがわる炊事をし、食べると表に○印をつけるのです。客をつれてくると○は二つになり三つになります。

結婚した私は、否応なくこのシステムに組み込まれ、集団生活の中で新婚時代をすごし、そのまま劇団がつくられていきました。

 

カリスマ的に劇団を引っ張る夫は、神様のように劇団に君臨し、魚の群れのように彼を慕う若い娘たちはいつも劇団という沼の「神様」にまなざしを送っている。劇団からは仲間は次々に去り、劇団の誕生から育て上げたみよ子さんが「私のような人間には棲めない世界に変容」したと感じるまでになる。

プロレタリアートを自認する夫とは理想とする家庭の形は違っており、やがて夫は「仕事場」と称してよそに居場所を作る。オペラのプリマドンナと過ごすための場だということはわかっている。「仕事場」を用意し、お金を都合することを一方的に押し付けられたみよ子さん。しかし、夫が仕事場に行くことに飽きると(「古い靴でも捨てるように捨てた、と思いました。」)、今度は自分が仕事場で小説を書き、本当の仕事の場にしていってしまう。

アカネちゃんが生まれてから、ママは、からだのぐあいがよくありませんでした。それで、外へいくお仕事はやめて、うちでするお仕事をしていました。
そんなふうに、からだが悪いせいでしょうか、ママは目も悪くなったようなのです。パパのすがたがみえたり、みえなかったりするのです。それは、こういうことでした。
夜、パパがかえってきます。
ママには、パパの歩きかたが、すぐわかります。
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムがなります。ママはとんでいってドアをあけます。
けれども、そこにパパは立っていません。ただ、パパのくつだけがありました。
それで、おしまいでした。
ママは、とほうにくれて、くつをながめていました。いったい、くつにどうやって、ごはんをたべさせたらいいでしょうか。くつに、「おふろがわいていますよ。」 なんていうのは、ばかげています。
ママは、しかたなくブラシでほこりをおとし、クリームをぬりました。布でこすりました。とっても長いあいだこすっていたので、靴はぴかぴかになりました。その上に、ママの涙が、一つぶ、ポトンとおちました。
つぎの朝、靴はでていきました。

 『モモちゃんとアカネちゃん』

 

離婚後も共同で作り上げた仕事の存在もあり、瀬川氏との交流が完全に途絶えることはありません。娘たちも父親との交流を続けており、別の場所で、同じ子守唄を娘にきかせる日々。そして元夫の突然の死のあと、元妻という複雑な立場でありながら、形見分けも、墓の世話もすることになる。


「ねえ、パパの病気、なおるよねえ」「どうしても、もういっぺんあいにいって、パパとおはなししたいの。パパがわるいならあやまってほしいの」幼かった娘たちに病気や離婚を説明するために、おはなしに書いてほしいと言われて生まれた、歩く木の話。『モモちゃん』シリーズではパパは「歩く木」でママは「育つ木」です。何か("女"だと示唆されている)を探そうとするパパと、それを受け入れた上で生き続けようとするママ。両方の生き様が苦しくなり、ママの木の根は枯れそうになる。その物語を、決して逃げずに語るみよ子さん。別離も死も悲しみも、子供の人生の一部。過剰におびえることなく、美化することもなく、子供に伝えようとしたときに、名作たちが生まれたのです。


何度も自分の居場所を失い、帰るべき家から追い出されながらも、窮地に立つ度に恩師や友人に助けられ、最後には二人の娘を連れて、自分の家に住むことができるようになる。『モモちゃん』シリーズでも、ママやモモちゃんやアカネちゃんが辛いときに助けてくれるのは、血縁者ではなく“おいしいものの好きなクマさん”でしたっけか。

自伝としての王道である誕生からの半生記を書いた『自伝 じょうちゃん』、離婚と死を書いた『小説・捨てていく話』は、ドラマチックでありながら、どこか茫洋とした読後感もあります。
自伝の中の人物が持つはずの、強烈なキャラクター性や説教性を持たず、自伝でありながら自分語りをしていないようにも感じるのです。人から自分に関して語られたことを集め並べた部分も多い。自己像が薄いというよりも、「オマツ」「サンコ」「じょうちゃん」などの多くの他称によって、自己を語ったように読める。多くの他称を並べることで、ぐんぐんと歩き、自分の居場所を探し続けたみよ子さんを助けてくれた人々にスポットが当たります。読後感としては、自伝を読んだというよりも、まるで長い謝辞を読んだような気さえするのです。

自分の居場所を何度も探し、ピュアに前に向かって歩き続けた女性の一代記。朝ドラにどうでしょうか。

小説・捨てていく話

小説・捨てていく話

 

 

自伝 じょうちゃん (朝日文庫)

自伝 じょうちゃん (朝日文庫)