読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ただの病名を、血の通った人間へ―『アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか』

小説以外

アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか』を読みました。

アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語

アルツハイマーはなぜアルツハイマーになったのか 病名になった人々の物語

 

 ネット書店で購入した際の紹介文は「パーキンソン病アルツハイマー病、アスペルガー症候群……病気や症状には発見者や患者の名前がつけられているものも多い。よく目にする神経疾患・脳疾患の名称はどのような経緯で名づけられたのだろうか?」というもので、人名に由来する専門用語を切り口とした医学史の一般向け本という認識でよろしいかと思われます。

人名由来語としてパーキンソン、アルツハイマーアスペルガーなどは現在では「病」や「症候群」を付けずに使われることもある、大変に有名な語です。でありながら、「名親」のファーストネームまでは記憶されていない。そしてファーストネームと共に、その疾患がどのように発見され、発表され、名付けられ、研究がすすめられたかという経緯は忘れ去られています。本書では12人の名親に注目し、彼らの生涯を通じて、精神疾患・脳疾患が「発見」された経緯が手際よくまとめられています。

はじめに 「ドラーイスマ症候群」がありえない理由
第1章 夕闇迫る頃、彼らがやってくる シャルル・ボネ症候群
第2章 苦しい震え パーキンソン病
第3章 フィニアス・ゲージの死後の徘徊 
第4章 ケレスティヌスの予言 ブローカ野
第5章 ライデン瓶の火花 ジャクソンてんかん
第6章 シベリアのブランデー コルサコフ症候群
第7章 死ね、このバカ! ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群
第8章 もつれた迷路 アルツハイマー
第9章 神経学のメルカトル ブロードマンの脳地図
第10章 狂気の大本 クレランボー症候群
第11章 分身にお茶を カプグラ症候群
第12章 小さな教授たち アスペルガー症候群
第13章 カルダーノ的な科学停止

12人の名親とその由来語については、誰もが知っているような超有名疾患名もあれば、耳慣れないものもあるのですが、各章ともその発見と命名の歴史をコンパクトにまとめており、構成が良いため適当に読み始めても飽きずに章の終わりまで辿り着けます。

本書の主題はあくまで各トピックの命名を切り口とした研究の歴史ではありますが、その歴史の流れから名親たちの生涯と、患者たちの人生を垣間見ることとなる。ただの普通名詞である病名が、固有名詞に戻り、血の通った人間が確かにこの専門用語の中にいるのだということが感じられるのです。

 

それでは蛇足ではありますが、その12人の名親の中から数名だけピックアップして、彼らの人生を少しだけ振り返ってみたいと思います。彼らの名前は本書を手に取って確かめてみてください。

 

シラミのような男がいた。シラミのようだというのは彼が自身をそう表現していたから、とりあえずはそう呼ぼう。シラミのような男は1857年にフランスのとある村で産声を上げた。彼は極めて優秀な子供で、学校では二学年も飛び級をしており16歳で大学の医学部に入り、その3年後には医師試験に合格している。シラミのような男はしかし抜群に優秀である一方で、多動児で問題児であり、短気で気まぐれ、すぐに人の話にくってかかり、言いがかりをつけて、口喧嘩を始める。声は甲高くしゃがれて、常に大音声で喋り、精神の均衡を欠いていた。彼はある症状の名親であるが、患者ではありません。一生涯を精神障害の患者のために尽くした医師であり、後に自身の名がつくこととなる障害(シラミのような男はそれを「忌まわしき人生の友」と呼び治療不能だと考えた)の研究者でした。

フランスで生まれたシラミのような男は、1901年にスイスの病院で人生を終える。精神障害の医師であった彼は、自身が精神障害の犠牲者となり、奇妙な論文を発表し続けたが、次第に仕事を続けることができなくなった。世間の目を逃れるために妻子によってスイスに連れて行かれた。そこでも食堂のメニューを全て盗むなどの混乱した行動を続け、まるで彼自身の患者とほとんど同じような行動をした。ついには困っている患者がいるのだと聞かされ、診察に出た先の病院で強制的に隔離病棟に収容された。

 

シラミのような男がスイスで亡くなった数か月後、ミュンヘンである論文が発表されます。この論文を提出したのは、とある野心のない男でした。彼が本当に野心がなかったかというと、そうでもないのでしょうが、いつだって彼の周囲の方が野心家だったために相対的に野心がない男なのです。

野心のない男の生涯を語るとなると、もはや登場人物一覧だけで圧倒されてしまうでしょう。手始めに、生涯の親友として登場するのが、「ニッスル染色法」に名を残す優秀な研究者フランツ・ニッスル。野心のない男はミュンヘン王立精神病院に勤めますが、ここの上司が「クレペリン分類」のエミール・クレペリンであり、クレペリンこそがこの野心のない男の名を疾患名として残すこととなるのです。この研究室を訪れるほんのチョイ役として、「レビー小体」でお馴染みのフリードリッヒ・ハインリヒ・レヴィや、「クロイツフェルト・ヤコブ病」がその名を冠したハンス=ゲルハルト・クロイツフェンとアルフォンス・ヤコブも登場する。1912年に野心のない男はミュンヘンの王立精神病院を去り、フリードリッヒ=ヴィルヘルム大学付属精神病院の院長となりますが、その院長の椅子に長く座り続けた前任者は、「ウェルニッケ失語」で有名なカール・ウェルニッケです。

 

野心のない男がミュンヘンの王立精神病院を去った後、院長であるクレペリンは解剖学実験室の後任者を探し、ある放浪男を迎えることとなる。放浪男はある地図の研究者です。農家の息子としてドイツのコンスタンツ近郊で生まれ、ミュンヘンの医学校に入り、ヴュルツブルクとベルリンで勉強をし、ミュンヘンで就職するが病気のためバイエルンで療養することとなる、とこの調子で次々と地名が飛び出す。放浪男は彼の意図とは無関係に、ある場所に腰を据えると、しばらくして別の場所への移動を余儀なくされる人生を送ります。仕事上の放浪も多く、ようやっと腰を落ち着けて教授資格まで取得できたと思った途端に戦争の勃発により研究が中断されることもありました。放浪男がクレペリンに招かれ、組織局所分布研究所の所長に就任したことで、ようやっと放浪が終わることとなるのです。1918年、最後の転職です。愛する妻と生まれたばかりの娘を連れて、引っ越しをし、最先端の研究所で優秀な研究員を指揮しながら研究に打ち込むこととなりますが、たった5ヶ月でまたもや幸福な場を去らなくてはいけなくなります。敗血症により、彼の命が奪われたからです。

 

本書の本筋は彼らの名を持つ病が発見され、命名された経緯です。

広告を非表示にする