その後のことは、よくわからない―『モーツァルトの息子』

先日までガリレオの娘さんに関しての本を読んでいた流れで、ふと表題が気になって池内紀さんのエッセイ『モーツァルトの息子 史実に埋もれた愛すべき人たち』を読みました。

モーツァルトの息子   史実に埋もれた愛すべき人たち (知恵の森文庫)

モーツァルトの息子 史実に埋もれた愛すべき人たち (知恵の森文庫)

 

 1998年に集英社から出た単行本『姿の消し方』の改題・文庫化。どういった本なのかは「文庫版のためのあとがき」の著者自身の言葉が適切だと思うので引用したい。

この『モーツァルトの息子』に入っている三十人は、読書の裏通りで出くわした人々である。ものものしい伝記を捧げられるタイプではなく、その種の伝記にチラリと姿を見せ、すぐまた消える。ただなぜか、その消え方が印象深い、そんな人たち。

モーツァルトの伝記は数多くあれど、残された息子は注目されないまま伝記は終わる。そんなモーツァルト二世のように、歴史の中で確かに実在した、名前を残した、(そして忘れられた)、30人の人生が紹介されるのですが、語り口に哀愁と小気味良さがあり、まるでミステリ小説を読んでいるかのようです。

表題となったモーツァルトの息子がやはり読者としては覚えが良い存在でしょうが、それ以外の人たちがより印象に残っています。18世紀のウィーンにおいて誰もが名を知る落書き魔、読書家の殺人鬼、カフカから送られた膨大な恋文、奇妙な顔ばかりを作った男、三十年戦争を終わらせたスウェーデン女王、罵倒だらけの旅行記を書いた男、などさまざまな人々が登場しては消えていく。

ミステリ小説のようだと感じたのには理由があり、登場する人々を語る際にちょっとしたオチがつくことがある。例えば、サイレント映画の巨匠エーリッヒ・フォン・シュトロハイムは「貴族の血」というタイトルで紹介されている。「召使がそっとドアをノックする。ノックの音が気に入らないので撮影に三日かかった。」というホンモノへのこだわりがある。名にフォンと付くように、元貴族だという映画監督は実は…。例えば、恐ろしく素朴で下手くそな詩を書く素人詩人がいる。笑ってしまうほどに下手な詩集は版を重ね、増補版を生み、一世紀にわたって絶えず売れたが、詩人の名前も詩集のことも文学史には登場しないのは何故か…。例えば、イタリア国王ウンベルト一世を暗殺したカエターノという男がいる。謎めいた暗殺者の突発的な犯行にアナキスト集団すらうろたえた。どの団体にも属さず、どんな陰謀も持たない犯人の、不可思議な国王殺害の動機とは…。

 

どうも本書自体が裏通りに属する書籍らしい。著者曰く、

書き上げていた四十人ちかくから三十人を選んだのが『姿の消し方』(集英社、一九九八年)のタイトルで本になった。多少の自信もあり、わりと気に入っていたのに、なぜか早々に書店の本棚から消えてしまった。

文庫本として息を吹き返すも、時間の流れに静かに押し流されようとしている。確かに生きて死んだ人々の人生に触れることができて、とても楽しかったです。