お手紙ちょうだいね。―『チャリング・クロス街84番地』

 先日、知人から「ロンドンには児童書の挿絵専門のギャラリーがある」と聞き、弥生美術館のようなところかと想像しているのですが、場所は、やっぱりというか案の定というかチャリング・クロス街らしい。

 チャリング・クロス街といえば、なんといっても『チャリング・クロス街84番地』が浮かびます。たまたま、この本は書物を愛する人たちの物語なので、副題に「書物を愛する人のための本」とありますが、書物でなくても何やら愛と情熱を捧げられるものをもつならば共感的に読むことができる本でしょう。戦後間もない1949年、ニューヨークで暮らす女性、ヘレーン・ハンフ(「私は貧乏作家で、古本好きなのです」)が、ロンドンの古書店マークス社に宛てた一通の手紙から始まる、二十年にわたる文通の記録です。

 ヘレーンが欲しい本をニューヨークで見つけようとすると「非常に高価な稀覯本か、あるいは学生さんたちの書込みのある、バーンズ・アンド・ノーブル社版の手あかにまみれた古本しか手にはいらない」ので、同封した書籍リストの中に「一冊につき五ドルを越えないもの」で「よごれていない古書」があれば送ってほしいという注文をします。それに対してロンドンの絶版本専門古書店マークス社のフランク・ドエルは丁寧な返事と注文の本を送ります。ここから、両者の間で、本の注文と出荷と請求と支払いのやりとりが繰り返され始めるのですが、ユーモアあるヘレーンの手紙を、フランクもマークス社の人々も楽しみにしだす。

 親しみある(時に皮肉もきっちり効かせた)ヘレーンの手紙と、イギリス風の丁寧で控えめなフランクの手紙のやりとりからは、当時のイギリスとアメリカの関係も見えてきます。戦後のロンドンでの食糧難(「お国では食料が配給制で、肉は一週間に一世帯当たり六〇グラム足らず、卵は一ヶ月に一人当て一個なのだそうですね。」)を知ったヘレーンは、食料品の詰め合わせやストッキングをマークス社に送り、古書店の人々はそれを喜びます。同じ戦勝国であっても、第二次世界大戦を境に疲弊した英国と、まだまだ元気な米国とで覇権国家の地位が逆転している。本代を支払うときの米ドルと英ポンドの力関係、チャーチル保守党の勝利に期待するフランク、国王ジョージ六世の急逝とエリザベス女王戴冠式ビートルズにブルックリン・ドジャーズ…。
 ヘレーンは小説には興味がないと断言しており(でも、オースティンの『自負と偏見』には夢中との告白もありましたが)注文も随筆や日記、評論や詩集ばかりです。ニューマンの『大学論』、クイラー・クーチの『オクスフォード名詩選』、ウォルトンの『伝記集』『釣魚大全』、『ピープスの日記』と名だたる古典がずらり。しかし、TV番組の脚本を書く仕事で生活しており、時にこんな愚痴も。

わたしのほうときたら、九五丁目に足止めを食ったまま、『エラリー・クイーンの冒険』なんていうテレビ・ドラマの脚本を書かされているんですものね。口紅のついたたばこを、手がかりに使っちゃあならないことになっているって、前に話したことあったかしら? このテレビ・ドラマのスポンサーはバイヤック葉巻会社なのよ。だから"紙巻きたばこ"って言葉を使ってはいけないの。

 このTVドラマは1951年に始まった初のクイーンの30分ドラマのことで、脚本は「一本につき二五〇ドルに値上げしてくれました」とあり、それまで「週給四〇ドルのしがない台本チェック係」であったヘレーンは、クイーンのドラマが続くようならばイギリスに行ってマークス社を訪ねることができると喜んでいます。1ドルが360円の時代なので日本円に換算すると約9万円です。脚本の相場は分かりませんが、物価を鑑みるとそれなりに美味しい仕事です。クイーンの作品を元にした殺人事件のテレビドラマ脚本に関して「あなたに敬意を表して、いつか稀覯本を扱う商売を背景に使って、台本を一本物にしてみるわ。あなた、人殺しの役と殺される役とだったら、どっちになりたい?」と楽しげに冗談も書いています。しかし、このドラマは52年には終了してしまい、イギリスへの旅の夢も一旦は白紙に戻ります。ヘレーンは「イギリス文学のイギリス」を見て回りたいと思っており、古書店の社員もそれを心待ちにしているのですが。

 そして、手紙のやりとりは20年目に入ります。「おたがいに、まだ生きているわね?(略)あなたはまだおじいちゃまにおなりにならないの?シーラとメリーにお伝えください。お二人のお嬢さまたちには、私の『児童文庫全集』を寄贈いたしますって。そうしたら、二人ともきっとさっさと結婚して赤ちゃんを産むわよ」とヘレーンが手紙を書くと、フランクが「妻と娘たちは元気です。シーラは学校の先生をしています。メリーはとてもよい青年と婚約しましたが、ここしばらく結婚できる当てもありません。二人とも一文なしですから。ノーラが、魅力あふれるオバアチャマになれる日はずっと先のことになってしまったようです」と返事を書きます。

 これが、最後のやりとりになってしまいました。次にマークス社から届いた手紙では、突然のフランクの死が告げられます。結局、ヘレーンは一度もイギリスを訪れることなく、友人の再三の誘いにも応じません。

今私がすわっている敷物のまわりをながめると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。

 イギリス文学は、この部屋の敷物のまわりにちゃんとあるのだというヘレーンの言葉には胸を打たれます。

 文庫本ではノーラ夫人と長女シーラからの手紙がエピローグとなって余韻のある終幕を迎えています。ここからは後日談ですが、やがてヘレーンはフランクや仲間との往復書簡を本にまとめて、愛すべき古書店の住所をタイトルにします。これが『チャリング・クロス街84番地』です。1970年に刊行されると反響は大きく、イギリスでの出版も決定、テレビ化され、ブロードウェイで芝居にもなり、ついには1986年に映画化もされます(主演はアン・バンクロフトアンソニー・ホプキンス)。この大成功によって、ヘレーンは念願のロンドン旅行に出かけます。この際に、チャリング・クロス街のすべての書店が彼女の本をウィンドウに並べ歓迎しました。

 現在、チャリング・クロス街は古書店が減少し(通販のみという古書店が増え、リアル店舗稀覯本専門店ばかりとのこと)お土産物屋が並ぶようになったそうですが、84番地にはひっそりと、マークス社のブルー・プラーク(史跡案内板)が残っており、書店の名残をいまに伝えているそうです。

 

チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)

チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)

 

 

山田風太郎『育児日記』

 赤ワインを赤ちゃんに飲ませて寝かしつけをしちゃう山田風太郎の『育児日記』を読みました。
 山田風太郎の『育児日記』は昭和29年の長女 佳織さんの誕生から中学入学まで(長男 知樹さんは誕生から小学四年まで)の子供の観察日記です。普段の日記から子供に関する部分を抜粋し、娘の結婚の際にプレゼントしたもの。
 山田風太郎東京医科大学出身なので、大雑把なラベリングでは理系男子となりますが、私は理系男子が子供に関して書いた文が大好物です。変に面白く書いてやろうという気負いがなく、少し冷徹で冷静な筆致での愛情ある文章にときめく。

 昭和のお父さんと言えば育児も家事もノータッチなイメージがありますが、居職ということもあり山田風太郎は「本当によく遊んでくれた父(佳織さんの言葉より)」だったようで、深夜に泣く赤ちゃんを抱きかかえながら仕事をしたという記述もあります。作家らしさ、医学部出身者らしさ、そして普通の親父らしさが混在した日記です。

子どもの顔を見たらユーゼンとして父性愛を生ずるかと思いしに、ちっとも生ぜず、上野博物館にある南米の土人の首を乾かし固めかためたやつみたいな顔を見ながら憮然としている。
11月6日(土)晴 赤ん坊、いまだその大脳は灰白質、白質分化せず、従って耳も よく聞こえず眼も見えぬはずなり。しかるに柔らかきベッドに置きて泣き、不器用なる父に抱かるれば泣きやむはなんぞ。決して肉体的快不快の問題にあるざるは明白なり、そもそも人間には大脳、感覚以外に孤独を怖れ人肌を恋う本能あるか。

 生まれたばかりの赤ちゃんをよく観察していることが伝わってきます。

 

もし佳織が死んだらどうするかと聞いたら啓子曰く「死んでも一週間くらいは抱いて寝る。」それから又曰く「あなたは風呂にゆかないから死んだらすぐ埋めてしまいます」と

 山田風太郎の戦後の日記には奥さんとの恋愛と新婚生活が描かれているのですが、いつもユーモアのあるご夫婦だったようですね。「戦中派復興日記」での啓子夫人との結婚前後の日記も味わい深くて大好きです。

 

夜五十嵐家で麻雀しようとしたれども佳織泣きわめきて啓子加わる能わず。従って麻雀出来ず。大いに腹を立て牌を佳織の頭に叩きつける。啓子曰く「三十三になって、九ヶ月の赤ん坊とケンカするのか」と。

 山田風太郎、赤ちゃんの頭に麻雀牌を叩きつける。赤ワインを飲ませるだけではなく、こういったインターネットがなくてよかったです的な記述もあります。

 

子どもの名、当用漢字にあって、字がきれいで、意味があって、発音が良くて、ほかに例がなく、しかもあまりヒネリ過ぎないものとなると困惑せざるを得ない。「知樹」とす。さてこの子の生涯の運命やいかに。

 山田風太郎、命名に頭をひねっています。いつの時代も命名の悩みは同じですね。
子供の教育や躾に関しては時々奥さんと喧嘩にもなっていたようです。これもまた、どの家庭でもよくある光景です。

よい学校にいれてやるのは、クレヨンを与えるに似ている。親としてはなるべくよいクレヨンを数多く与えてやるのが義務であろう。しかし、それを以て人生の絵のを描くのは、ついに子供の天性の技量である。
子供というものは、存在するだけで親はその報酬を受けている。テーブルの向こうに小さな赤い顔をならべて飯をくっている風景、午後になると佳織は学校から、夕方になると知樹は外から「タダイマー」と声はりあげて帰って来る声、それで充分である。


 子供を見つめる幸福が伝わってくる記述です。熱意と遊び心と愛情と冷徹が混在した、堂々たる育児日記。玩具や育児用品の値段も記されており、昭和中期の育児の記録としても価値があるのではないでしょうか。 

山田風太郎育児日記

山田風太郎育児日記