ザビエルのあとに続く―『神父さま、なぜ日本に?』

 表紙のお写真に目がとまり、続いて表紙に書かれた「ザビエル」の文字が気になって手に取りました。『神父さま、なぜ日本に? ザビエルに続く宣教師たち』を読みました。一般流通書籍ではありますが、書店で探して迷わず購入するのは信徒の方々だろう本ですので、気安く読んでしまって良いのかと迷いもしましたが非常におもしろかったのでご紹介します。あまぞんの書影ではあんまりなので、書店で表紙を見て頂きたいです…。

神父さま、なぜ日本に?―ザビエルに続く宣教師たち

神父さま、なぜ日本に?―ザビエルに続く宣教師たち

 

 家の近所に教会がひとつあるのは知っていました。よく遊んでいるゲームの
ポケモンGO」の"ポケストップ(ゲームに必要なアイテムが貰えるポイント)"に登録されていたから。ゲームで遊ぶために教会に近づくと法衣を召した方が出てくるのをお見かけする。教会を見れば綺麗だなと思う。チャペルの結婚式に招かれれば、祭壇の神父様の優しそうな笑顔に祝福の気持ちが高まる。それでも基本的には信仰というものに対する私の気持ちは、はじめて遠藤周作の『沈黙』を読んだときに感じたものから変化はない。イエズス会の宣教師が17世紀の日本に布教のために渡り来た苦難を描くこの小説は、まだ思春期の少女だった私にとっては恐ろしく感じた。信仰に至らない、葬式仏教でありながらクリスマスプレゼントを心待ちにする我が身が恥ずかしく、しかし同時に人間の魂も運命も全てを差し出させる「信仰」というものが恐ろしかった。人の、しかも多くの人の、心を抉り取るような気持ちはどこから生まれるのかと考え込みました。今でも少々の近付き難さと、尊さを感じさせる距離感です。

 本書には11の修道会に所属する15人の神父様が登場します。表紙のすてきな笑顔のおじいちゃま達は、日本に長く滞在している宣教師たちです。その滞在の歴史は様々ですが、戦後間もない困難な環境の日本に長い船旅の末に到着し、日本語を学び、半世紀にわたってこの国と共にあった方々の肉声に触れることができます。日本に宣教に行きたいと希望していた方もいらっしゃるし、縁もゆかりもない極東の地に最初はとても無理だと戸惑ったという方もいらっしゃる。若くして福音のあかしに生きることを決め、家族にも二度と会えない覚悟で海を渡った宣教師たちの物語には励まされるような気持ちになる一方で、やはりその強い思いに距離を感じていると、若い頃は殉教への憧れがあったという神父様の「いまどきの若者のジハードに似ていたかもしれません」という自身を省みた言葉に驚きました。

 ザビエルと言えばあのザビエルです。歴史の教科書に出てきた有名な肖像画はいまでもよく覚えています。本書では、歴史の中の存在であったザビエルに続く人々が今も生きて日本と共にあることに触れられる。戦後の混乱、そして高度成長、幾度もの天災と大きく変化していく日本という国は神父様たちはどのように見えるのか。その答えはどのページにおいても温かいものでした。