朝ドラ「松谷みよ子」がみたいです。―『自伝 じょうちゃん』『小説・捨てていく話』

むかしむかし、きのうのきのうくらいむかし、じいさまとばあさまがありました。
じいさまは山へ毎日木を伐りに行っていましたが、あるとき、弁当を食おうとひろげたら、雀がみんな食べてしまっていて、くうくう昼寝をしていました。あんまり可愛いので懐に入れて帰り、ちょんよ、ちょんよと可愛がりました。一羽、二羽、山の雀はだんだんふえて五羽になり、じいさまはばあさまのことなどふりむきもしませんでした。
ある夜、ばあさまが胸苦しいので目を覚ますと、おちょん雀も他の雀も娘姿で、ばあさまの上を踏んで歩いていました。次の朝、目をさますとやっぱり雀です。
雀はばあさまの煮た糊をちゅんちゅんとみんななめてしまいました。叱りますと雀たちはぱっとこちらをむいて、いっせいにばあさまを睨みつけました。
ばあさまは怖くなって、逃げ出しました。

 

朝ドラ(NHK連続テレビ小説)の主人公として、松谷みよ子さんはどうだろうかと思っていたことがある。
朝ドラといえば、「逆境に負けず、たくましく生きる女性」が主人公で、同時に「太平洋戦争と戦後混乱期を乗り越えた女性の一代記」が多い印象があります。松谷さんは児童文学作家として著名で、『モモちゃんとアカネちゃんの本』シリーズは幼い子供に長く愛されている名著ですし、刊行当時0歳向けの本として画期的だった『いないいないばあ』などの絵本も現役のベストセラー絵本。そして、青春時代が戦争にあたり、陳腐な言葉ではありますが波乱万丈な人生を送っていらっしゃる。

 

先日、『自伝 じょうちゃん』を再読していたところ、小学生時代の思い出として「もうひとり、忘れられない同級生は宮崎蕗子さんである。宮崎龍之介氏と白蓮(旧姓・柳原)夫人の娘で狐塚のたしか上り屋敷寄りに家があった」という形で、友人を回想している箇所に気づきました。
白蓮夫人(柳原白蓮)といえば、昨年の朝ドラ「花子とアン」でも村岡花子の友人として登場し、仲間由紀恵さんが演じて大変な人気になったとか。なにかの縁も感じ、やはり「朝ドラ 松谷みよ子」をみてみたいと思ったのです。

『自伝 じょうちゃん』では、社会派弁護士で後に代議士ともなった松谷與二郎の末娘として誕生し、お嬢ちゃんとしての幼少期、父の死、戦争と貧困と疎開、恩師と友人たち、結婚と出産、そして離婚が瑞々しくも淡々とした文章で語られる。
『小説・捨てていく話』では、夫であり人形劇団の主宰者である瀬川拓男さんとの離婚が描かれています。『モモちゃん』シリーズで登場する“パパを残してのお引越し”や“靴だけが帰ってくるパパ”そして“死に神”の訪問など、不穏なモチーフが実際に松谷さんの身に起きた出来事なのだということが語られ、その凄みに震えることになる。

姉が「お嬢様」だから、その対として「お嬢ちゃん」の意で家族やお手伝いさんから「じょうちゃん」と呼ばれて育った幼少期。他称であった「じょうちゃん」を、みよ子さんは自称として使うようになる。弁護士で議員だった父(虎ノ門事件で難波大助の弁護人を務めた)の交通事故死によって、生活は困窮し、継ぎ布でふくれた靴下を履いて登校する。お父さんが健在だった頃に高度な教育を受けた兄や姉と比べると、進学もままならないのは、仕方が無いとはいえ残酷なことに思えます。
時代は戦争に向かい、兄たちは学徒出陣により出征。自らは命を投げ出すことを厭わずに“軍国の乙女”として女子挺身隊に応募したというのも、みよ子さんの後の作品にも見えるピュアな部分を感じさせます。やがて空襲を避け長野に疎開、そこで生涯の師・坪田譲治と出会う。戦後は横浜興信銀行(現・横浜銀行)従業員組合で働き、機関誌を刊行。処女作の出版と受賞。結核療養。片倉工業の人形劇サークルで瀬川拓男氏と出会い、結婚。闘病、そして出産と離婚。

美しい母、華のある8歳年上の姉、そして2人の兄。戦中、戦後の社会的状況の厳しい中、戸惑いながらも家族を支えて奔走するのは、何故かいつも末っ子のみよ子さんなのです。
兄二人が出征し、姉の夫は結核療養中のなか、美しく教養はあるが生活力が弱い母と姉と甥を養うため、仕事を見つけ、疎開先に荷物を運び(命がけで運んだ荷物に文句を言われ)、新しい土地で生活を始める。必死で生活環境を整えたのに、あるとき姉夫婦に出ていくようにいわれ追われるように別の住まいを探すことになる。姉の夫が病死したら、リヤカーに乗せて焼き場へ運ぶ。
戦争が終わって長兄が戻ってきたとき、東京の家が焼失したあとにふたたび都内に地盤を築けていなかったことについて、末っ子で女の子のみよ子さんを責める。そして、それに応えようとまた奔走する。そうでありながら、結核(義兄から姉経由での感染とみられる)に倒れたみよ子さんが入院しているあいだに、母と姉は、彼女が家(みよ子さんが確保したアパート)に戻ってこないように算段している。―「その母までが姉といっしょに「みよ子を引き取ってください」と先生におねがいにいったというのである。」―あんまりだと思うのです。
しかし、そういったことは決して恨み言としてではなく、さらさらと振り返るように、遠い情景を描くように書かれている。そして戦中戦後の厳しい時代でも、親身になって動いてくれる恩師や友人のサポートに心が温まります。行きずりの手相見から「あんたは身内より友達に助けられるよ」と言われる挿話があるのですが、この占いのなんと当たっていること。

夫・瀬川拓男さんとの結婚は実に色々な人から反対されていたようです。病に倒れたみよ子さんを看護し続けた瀬川氏は、結婚後すぐに「劇団太郎座」を立ち上げて主宰・運営にあたる。劇団メンバーが入り乱れる雑居生活は、みよ子さんの体の負担になっていることが伺えます。

新居のために借りた家は、私に突然肺の手術を受けるようにという指示が出たため、結婚も延期となり、男たちの住処となりました。共同炊事、共炊という私には耳慣れない言葉がとびだし、男たちはかわるがわる炊事をし、食べると表に○印をつけるのです。客をつれてくると○は二つになり三つになります。

結婚した私は、否応なくこのシステムに組み込まれ、集団生活の中で新婚時代をすごし、そのまま劇団がつくられていきました。

 

カリスマ的に劇団を引っ張る夫は、神様のように劇団に君臨し、魚の群れのように彼を慕う若い娘たちはいつも劇団という沼の「神様」にまなざしを送っている。劇団からは仲間は次々に去り、劇団の誕生から育て上げたみよ子さんが「私のような人間には棲めない世界に変容」したと感じるまでになる。

プロレタリアートを自認する夫とは理想とする家庭の形は違っており、やがて夫は「仕事場」と称してよそに居場所を作る。オペラのプリマドンナと過ごすための場だということはわかっている。「仕事場」を用意し、お金を都合することを一方的に押し付けられたみよ子さん。しかし、夫が仕事場に行くことに飽きると(「古い靴でも捨てるように捨てた、と思いました。」)、今度は自分が仕事場で小説を書き、本当の仕事の場にしていってしまう。

アカネちゃんが生まれてから、ママは、からだのぐあいがよくありませんでした。それで、外へいくお仕事はやめて、うちでするお仕事をしていました。
そんなふうに、からだが悪いせいでしょうか、ママは目も悪くなったようなのです。パパのすがたがみえたり、みえなかったりするのです。それは、こういうことでした。
夜、パパがかえってきます。
ママには、パパの歩きかたが、すぐわかります。
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムがなります。ママはとんでいってドアをあけます。
けれども、そこにパパは立っていません。ただ、パパのくつだけがありました。
それで、おしまいでした。
ママは、とほうにくれて、くつをながめていました。いったい、くつにどうやって、ごはんをたべさせたらいいでしょうか。くつに、「おふろがわいていますよ。」 なんていうのは、ばかげています。
ママは、しかたなくブラシでほこりをおとし、クリームをぬりました。布でこすりました。とっても長いあいだこすっていたので、靴はぴかぴかになりました。その上に、ママの涙が、一つぶ、ポトンとおちました。
つぎの朝、靴はでていきました。

 『モモちゃんとアカネちゃん』

 

離婚後も共同で作り上げた仕事の存在もあり、瀬川氏との交流が完全に途絶えることはありません。娘たちも父親との交流を続けており、別の場所で、同じ子守唄を娘にきかせる日々。そして元夫の突然の死のあと、元妻という複雑な立場でありながら、形見分けも、墓の世話もすることになる。


「ねえ、パパの病気、なおるよねえ」「どうしても、もういっぺんあいにいって、パパとおはなししたいの。パパがわるいならあやまってほしいの」幼かった娘たちに病気や離婚を説明するために、おはなしに書いてほしいと言われて生まれた、歩く木の話。『モモちゃん』シリーズではパパは「歩く木」でママは「育つ木」です。何か("女"だと示唆されている)を探そうとするパパと、それを受け入れた上で生き続けようとするママ。両方の生き様が苦しくなり、ママの木の根は枯れそうになる。その物語を、決して逃げずに語るみよ子さん。別離も死も悲しみも、子供の人生の一部。過剰におびえることなく、美化することもなく、子供に伝えようとしたときに、名作たちが生まれたのです。


何度も自分の居場所を失い、帰るべき家から追い出されながらも、窮地に立つ度に恩師や友人に助けられ、最後には二人の娘を連れて、自分の家に住むことができるようになる。『モモちゃん』シリーズでも、ママやモモちゃんやアカネちゃんが辛いときに助けてくれるのは、血縁者ではなく“おいしいものの好きなクマさん”でしたっけか。

自伝としての王道である誕生からの半生記を書いた『自伝 じょうちゃん』、離婚と死を書いた『小説・捨てていく話』は、ドラマチックでありながら、どこか茫洋とした読後感もあります。
自伝の中の人物が持つはずの、強烈なキャラクター性や説教性を持たず、自伝でありながら自分語りをしていないようにも感じるのです。人から自分に関して語られたことを集め並べた部分も多い。自己像が薄いというよりも、「オマツ」「サンコ」「じょうちゃん」などの多くの他称によって、自己を語ったように読める。多くの他称を並べることで、ぐんぐんと歩き、自分の居場所を探し続けたみよ子さんを助けてくれた人々にスポットが当たります。読後感としては、自伝を読んだというよりも、まるで長い謝辞を読んだような気さえするのです。

自分の居場所を何度も探し、ピュアに前に向かって歩き続けた女性の一代記。朝ドラにどうでしょうか。

小説・捨てていく話

小説・捨てていく話

 

 

自伝 じょうちゃん (朝日文庫)

自伝 じょうちゃん (朝日文庫)

 

 

あたしもひとりぼっちなのよ―『秘密の花園』

 子供のための絵本を古書店やバザーなどで物色していると、すぐ隣に児童書コーナーがあることに気づきます。私は児童書をあまり読んだ記憶がないので、投げ売りのような価格になっているそれらが新鮮で、新しい狩場を見つけたような気分です。これから子供をだしにして狩猟本能を未開拓の児童書に向けられると思うと変な笑いが出てくる。子供のためという大義名分があるので財布の紐も緩くなりがち。

 そんな中、バーネットの『秘密の花園』を読み返す機会がありました。この本は小学生のころに子供用ダイジェスト版を読み、その後新潮文庫で読み直したのですが、三度目に手に取ってみたところ、今になって新鮮に感じ、思わず涙腺が緩む場面もあり驚きました。

 さまざまな媒体で紹介されている評価の高い作品ですので(発表当時は『小公子』『小公女』を超えるものとは思われていなかったようですが)原作を読まなくてもあらすじはよく知られていると思います。英国領インドで孤児になった少女メアリーは、英国ヨークシャーの叔父の屋敷に引き取られ、そこで閉鎖された庭園を見つける。病弱でふさぎ込んでいた従兄弟のコリン、地元の農家の息子ディコンと出会い、三人でその庭を手入れする。元気になったコリンは、父親にその姿を見せ、感動させる。簡単に言ってしまえば、これだけの話です。しかし、読み直していると、細部に味わい深い場面があることに気が付きました。

 (文中の原作からの引用は全て、瀧口直太郎さんの訳された新潮文庫版に拠っています)

  • わたしとヘビのほかには、誰もいないみたい

 この物語は異様な静けさの中からスタートします。ある朝、目を覚ましたメアリーは、広い屋敷の中に自分以外の人間がいないことに気が付きます。両親と使用人はコレラで亡くなり、残った使用人も逃げてしまっていたのです。誰も、メアリーのことを思い出さず、屋敷に残されてしまった9歳の少女。これは異常事態です。しかし、メアリーは心細さも恐怖も感じていません。世話をしてくれる召使が誰もいないことに腹を立てはしても、自分が孤独であることすら気付いていないのです。

 メアリーは英国領インドに派遣された英軍士官の父と、美しい母の間に生まれた一人娘です。母親は社交に夢中で、「小さな女の子など欲しくなかった」ので、世話はすべてインド人の召使に任せ、乳母はなるべくメアリーを人目につかぬように、「病弱で気難しい、みっともない赤ん坊」が泣いて奥様をうるさがらせぬように、何でも赤ん坊の望むようにしていました。母親の育児放棄と、メアリーの癇癪を恐れて恭順な姿勢をとりつづける召使により、メアリーは自分と温かなつながりをもってくれる存在がいないままに育っていったのです。コレラの猛威にさらされた屋敷では、彼女は誰からも思い出されず、両親が彼女を案じた形跡もありません。メアリーは既に「たった一人」の世界で生きていたので、屋敷に一人残されても、孤独を感じなかったのでしょう。

 やがて、父親の同僚が屋敷を見回りに来た際に、メアリーは発見され、現地の英国人牧師にとりあえず保護されます。その後、英国の叔父のもとに引き取られることになります。

 叔父の屋敷の敷地を散策している中で、メアリーは一羽の駒鳥がさえずっているのを見つけます。偏屈な老庭師ベンにそれは「自分がひとりぼっちだっていうことをちゃんと知っていた」鳥だと教えてもらう。彼女は「あたしもひとりぼっちなのよ」と話しかけます。この瞬間、生まれて初めて孤独を自覚するのです。

 

  • メアリーの分身

 メアリーは、若いメイドのマーサとの会話の中から、閉鎖された庭の存在を知ります。庭園が閉じられてから10年の歳月が流れています。そしてインドで9歳だったメアリーは、長い船旅で英国にやってきたおり、この時点で10歳程度だと思われます。この閉鎖された秘密の庭は、メアリーと非常に近い存在です。

「だれのものでもないの。だれもそれをほしがらないし、だれもかまってはやらないし、だれもそこへは入って行かない花園なの。たぶんそのなかのものはもうみんな死んでいるんでしょうーーあたしにはよくわからないけど……」

後にディコンに対してメアリーは秘密の花園をこう評します。これは、誰にも見つめられず、10年も捨てられてきたメアリー自身のことでしょう。

 

 作中には、この庭だけでなく、メアリーの魂の分身、一面だと思われる登場人物がいます。ひとりは偏屈な老庭師ベン・ウェザースタッフです。皮肉屋で駒鳥以外は友達はいないようです。

「あんたとわしとはなかなかよう似てるだ。わしらはおんなじ糸で織った布みたいによく似てるだ。わしらはどっちもきりょうがよくねえし、どっちもおんなじくれえ苦虫かみつぶしたような顔してるだ。わしらは二人ともまったくおんなじような、いやな気性の人間だよ」

屋敷の家政婦 メドロック夫人も「あなたはまるでおとしよりみたい」とメアリーを評していますし、マーサも「あんたは妙に年よりみたいなひとだね」と語るシーンがあります。老人ベンはメアリーの分身であり、メアリー同様の不機嫌で怒りを抱えた者です。そして後に秘密の花園の守り手ともなります。

 

 もうひとりは、メアリーの従兄弟であるコリンです。屋敷で存在を隠されていたコリンは、メアリーと出会ってお喋りに興じるようになりますが、なにかにつけて「自分は病気で死ぬんだ」とまるで病気であることを特権であるかのように振りかざします。そして周囲を怯えさせるほどのひどい癇癪もちで、屋敷の人々はコリンに癇癪を起させないように機嫌をとることが最大の任務です。メアリーとそっくりな性質のコリン。作中で、彼が自分の足で立つようになってから、メアリーの描写は極端に少なくなり、コリンの気持ちに関してクローズアップされていきます。メアリーの分身であるコリンは、メアリーと共に蘇った秘密の庭で健やかさを取り戻し、ラストシーンでは、孤独な屋敷の主人である父親の胸に飛び込んでいく。屋敷と庭と人々の再生を印象付ける場面での主役はコリンです。メアリーとその分身達は、一旦は孤立し輝きを失っていましたが、秘密の花園の復活と同じタイミングで再生するのです。

 

  • 屋敷の中でみつめる動物

 屋敷の「中」でメアリーが見つめる小さな動物たちは、メアリーと庭の生命力の回復を表現しています。コレラの蔓延で人々が死に絶え、または逃げ去って行った屋敷において、生き残ったメアリーが静けさの中で出会ったのは、たった一匹の、小さな害のないヘビでした。宝石のような目でじっとメアリーをみつめるヘビ(おそらく、この少女をじっと見つめてくれる存在はこれまでいなかったのだと思われます)。ヘビと見つめあうメアリーは、どこかヘビとの親和性も感じさせます。冷血動物(変温動物)であるヘビは、優しい気持ちのない生き物だというイメージがあるからでしょうか。

 英国に渡ったメアリーの心身は少しずつ健やかに育ち始めるのですが、その時期に屋敷の探索をしていた少女が出会ったのは、象牙でできた小さな象の置物と、クッションの中に巣をつくったネズミの赤ん坊でした。象牙の象はインドで育ったメアリーにとってはよく知ったものであり、かなり長い時間それで遊びます。まるで孤独だったインド時代の自分自身と遊んであげているかのようです。その後、小さな仔ネズミに対して「もしこんなにびっくりしさえしなければ、これをみんなあたしの部屋へもって帰るんだけど……」と呟くメアリー。小さいけれども、確かに温かい生物が、屋敷に巣を作っていることが発見できました。

 そして庭の再生が進んだ頃には、ついに、ディコンの連れて歩くカラスの黒助、りすの栗坊と殻坊、生まれたての仔羊を屋敷の中に招き入れます。メアリーが屋敷の中で出会う動物は、どんどん温かく大きなものになっていくのです。

 

  • 三人の母親

 この物語には三人の印象的な母親が登場します。ひとりはメアリーの母である「奥様(メム・サーブイ)」です。とても美しい人で、「レースだらけ」の服を着ており、パーティーに行って楽しく過ごすことだけが大好き。作中ではたびたび、母親はとても美しかったのに娘のメアリーはなんて不器量なんだろうと、容貌の比較のために引き合いに出されます。


 もうひとりはコリンの母であるクレイヴン夫人です。若く美しく花の好きな奥様。彼女は既に空の上を居場所とする故人です。「青い空」は彼女を象徴しています、

「奥様はえらく花が好きだっただ―ほんとにお好きだっただよ。奥様は、いつも青空の方へ顔をむけて咲いている花が好きだって、よくいわっしゃったものだ。(略)奥様は青空がただもうほんとにお好きだったが、青空はいつもとても楽しそうに見えるっていわっしゃっただ」

 

 そして三人目は、ディコンとマーサの「おっかさん」であるスーザン・サワビーです。メアリーと出会う前から、メアリーの境遇に心を痛めてマーサを通して助言をし、メドロック夫人に働きかけ、屋敷の主人にして領主であるクレイヴン氏にも話をし、メアリーに関心を持ってもらうよう仕向けていました。野性味あふれる息子のディコンはムアの動物のことなら何でも知っており、生命力あふれた少年です。娘のマーサもメアリーの健やかな生活のために尽力します(彼女は、初めて登場するシーンで暖炉の手入れをしています。これは、メアリーを温める存在であることを示唆しているように読めるのです)。土俗的な母性の象徴であり、ムアの生命力の体現者でもあるスーザン・サワビーは、その子供たちと共に、屋敷と庭とそれに関わる人々に大地の温かさを運ぶのです。初めてであった時にコリンは「あなたにあいたかった」と言い、彼女はそんなコリンを若様ではなく「かわいい坊や」と呼びます。おもしろいのは、この時、スーザンが着ているのは「青いマント」なのです。コリンを抱きしめるスーザンの背景に、青い空の住人であるクレイヴン夫人が重なるかのように感じられます。

 

  • 意外性のある登場人物の配置

 再読してみて、随分と印象が変わった登場人物がいます。屋敷につとめるメドロック夫人です。メアリーを通してみるメドロック夫人は、厳格でそのくせに面倒くさがりで、あまり良き大人とは言えませんでした。

 しかし、そんなメドロック夫人は、ディコンとマーサの母スーザン・サワビーの幼馴染という面を持っています。小学生時代の同級生であるスーザンに関して、自分の主人であるクレイヴン氏に「健全な心の持ち主」と紹介し、彼女の子供たちも「しごく丈夫でいい子ばかり」と評します。友人であるスーザンが褒められるとニコニコと笑って喜び、彼女との素晴らしい思い出話を語りだすのです。友人を自慢げに語るメドロック夫人は、まるで別人のように生き生きとしており、冷たさは全く感じさせません。メアリーの目からだけでは見えてこない登場人物の一面です。

 

 もうひとり、看護婦(師)という脇役も、再読時に驚くくらい印象の変わった人物です。この看護婦は病人の世話をするのが嫌で、すぐにさぼろうとします。メアリーも「どうしても好きになれなかった」と感じていますし、物語を動かく役目でもない脇役の中でも随分と地味な存在です。

 メアリーが庭仕事が忙しくてコリンの部屋にいけなかった際に、コリンは機嫌を損ね、ようやっと部屋に訪ねてきたメアリーと口げんかを始めます。「おまえは、わがままものだ!」「あんたはあたしよりもっとわがままよ」と激しくぶつかります。子供の頃は仲違いした二人にハラハラしていた記憶があるのですが、おとなになってから読むと、子供二人が大騒ぎしている、随分とへんてこな場面です。そして、そのおかしさを感じる読者の気持ちに沿うかのように、看護婦が「ハンケチを口にあてて立ったまま、くすくす笑っている」のです。ああいうわがままな子供には、同じくらいの駄々っ子が向かって行ってくれるといいのだと。

 その後、晩にコリンが癇癪を起して大騒ぎをします。悲鳴を上げて泣く声をきいているうちに、メアリーは腹が立ってきて、自分の短気は棚に上げて、こっちも大声で泣いて怖がらせてやるんだと足を踏み鳴らします。この時も看護婦は喜んで「行って坊ちゃんを叱ってあげてくださいな」と応援します。この看護婦の言うことは、大人の読者の気持ちにピッタリなのです。

 

 このように、子供向けのダイジェスト版では味わいきれなかった細部には、この作品の醍醐味がつまっています。まだまだ読むたびに発見があることでしょう。名作を読むとき、いつでも私たちは鮮やかな「秘密の花園」に足を踏み入れることができるのです。

 

秘密の花園 (新潮文庫)

秘密の花園 (新潮文庫)

  • 作者: フランシス・ホジソンバーネット,Frances Hodgson Burnett,龍口直太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
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お手紙ちょうだいね。―『チャリング・クロス街84番地』

 先日、知人から「ロンドンには児童書の挿絵専門のギャラリーがある」と聞き、弥生美術館のようなところかと想像しているのですが、場所は、やっぱりというか案の定というかチャリング・クロス街らしい。

 チャリング・クロス街といえば、なんといっても『チャリング・クロス街84番地』が浮かびます。たまたま、この本は書物を愛する人たちの物語なので、副題に「書物を愛する人のための本」とありますが、書物でなくても何やら愛と情熱を捧げられるものをもつならば共感的に読むことができる本でしょう。戦後間もない1949年、ニューヨークで暮らす女性、ヘレーン・ハンフ(「私は貧乏作家で、古本好きなのです」)が、ロンドンの古書店マークス社に宛てた一通の手紙から始まる、二十年にわたる文通の記録です。

 ヘレーンが欲しい本をニューヨークで見つけようとすると「非常に高価な稀覯本か、あるいは学生さんたちの書込みのある、バーンズ・アンド・ノーブル社版の手あかにまみれた古本しか手にはいらない」ので、同封した書籍リストの中に「一冊につき五ドルを越えないもの」で「よごれていない古書」があれば送ってほしいという注文をします。それに対してロンドンの絶版本専門古書店マークス社のフランク・ドエルは丁寧な返事と注文の本を送ります。ここから、両者の間で、本の注文と出荷と請求と支払いのやりとりが繰り返され始めるのですが、ユーモアあるヘレーンの手紙を、フランクもマークス社の人々も楽しみにしだす。

 親しみある(時に皮肉もきっちり効かせた)ヘレーンの手紙と、イギリス風の丁寧で控えめなフランクの手紙のやりとりからは、当時のイギリスとアメリカの関係も見えてきます。戦後のロンドンでの食糧難(「お国では食料が配給制で、肉は一週間に一世帯当たり六〇グラム足らず、卵は一ヶ月に一人当て一個なのだそうですね。」)を知ったヘレーンは、食料品の詰め合わせやストッキングをマークス社に送り、古書店の人々はそれを喜びます。同じ戦勝国であっても、第二次世界大戦を境に疲弊した英国と、まだまだ元気な米国とで覇権国家の地位が逆転している。本代を支払うときの米ドルと英ポンドの力関係、チャーチル保守党の勝利に期待するフランク、国王ジョージ六世の急逝とエリザベス女王戴冠式ビートルズにブルックリン・ドジャーズ…。
 ヘレーンは小説には興味がないと断言しており(でも、オースティンの『自負と偏見』には夢中との告白もありましたが)注文も随筆や日記、評論や詩集ばかりです。ニューマンの『大学論』、クイラー・クーチの『オクスフォード名詩選』、ウォルトンの『伝記集』『釣魚大全』、『ピープスの日記』と名だたる古典がずらり。しかし、TV番組の脚本を書く仕事で生活しており、時にこんな愚痴も。

わたしのほうときたら、九五丁目に足止めを食ったまま、『エラリー・クイーンの冒険』なんていうテレビ・ドラマの脚本を書かされているんですものね。口紅のついたたばこを、手がかりに使っちゃあならないことになっているって、前に話したことあったかしら? このテレビ・ドラマのスポンサーはバイヤック葉巻会社なのよ。だから"紙巻きたばこ"って言葉を使ってはいけないの。

 このTVドラマは1951年に始まった初のクイーンの30分ドラマのことで、脚本は「一本につき二五〇ドルに値上げしてくれました」とあり、それまで「週給四〇ドルのしがない台本チェック係」であったヘレーンは、クイーンのドラマが続くようならばイギリスに行ってマークス社を訪ねることができると喜んでいます。1ドルが360円の時代なので日本円に換算すると約9万円です。脚本の相場は分かりませんが、物価を鑑みるとそれなりに美味しい仕事です。クイーンの作品を元にした殺人事件のテレビドラマ脚本に関して「あなたに敬意を表して、いつか稀覯本を扱う商売を背景に使って、台本を一本物にしてみるわ。あなた、人殺しの役と殺される役とだったら、どっちになりたい?」と楽しげに冗談も書いています。しかし、このドラマは52年には終了してしまい、イギリスへの旅の夢も一旦は白紙に戻ります。ヘレーンは「イギリス文学のイギリス」を見て回りたいと思っており、古書店の社員もそれを心待ちにしているのですが。

 そして、手紙のやりとりは20年目に入ります。「おたがいに、まだ生きているわね?(略)あなたはまだおじいちゃまにおなりにならないの?シーラとメリーにお伝えください。お二人のお嬢さまたちには、私の『児童文庫全集』を寄贈いたしますって。そうしたら、二人ともきっとさっさと結婚して赤ちゃんを産むわよ」とヘレーンが手紙を書くと、フランクが「妻と娘たちは元気です。シーラは学校の先生をしています。メリーはとてもよい青年と婚約しましたが、ここしばらく結婚できる当てもありません。二人とも一文なしですから。ノーラが、魅力あふれるオバアチャマになれる日はずっと先のことになってしまったようです」と返事を書きます。

 これが、最後のやりとりになってしまいました。次にマークス社から届いた手紙では、突然のフランクの死が告げられます。結局、ヘレーンは一度もイギリスを訪れることなく、友人の再三の誘いにも応じません。

今私がすわっている敷物のまわりをながめると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。

 イギリス文学は、この部屋の敷物のまわりにちゃんとあるのだというヘレーンの言葉には胸を打たれます。

 文庫本ではノーラ夫人と長女シーラからの手紙がエピローグとなって余韻のある終幕を迎えています。ここからは後日談ですが、やがてヘレーンはフランクや仲間との往復書簡を本にまとめて、愛すべき古書店の住所をタイトルにします。これが『チャリング・クロス街84番地』です。1970年に刊行されると反響は大きく、イギリスでの出版も決定、テレビ化され、ブロードウェイで芝居にもなり、ついには1986年に映画化もされます(主演はアン・バンクロフトアンソニー・ホプキンス)。この大成功によって、ヘレーンは念願のロンドン旅行に出かけます。この際に、チャリング・クロス街のすべての書店が彼女の本をウィンドウに並べ歓迎しました。

 現在、チャリング・クロス街は古書店が減少し(通販のみという古書店が増え、リアル店舗稀覯本専門店ばかりとのこと)お土産物屋が並ぶようになったそうですが、84番地にはひっそりと、マークス社のブルー・プラーク(史跡案内板)が残っており、書店の名残をいまに伝えているそうです。

 

チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)

チャリング・クロス街84番地―書物を愛する人のための本 (中公文庫)

 

 

山田風太郎『育児日記』

 赤ワインを赤ちゃんに飲ませて寝かしつけをしちゃう山田風太郎の『育児日記』を読みました。
 山田風太郎の『育児日記』は昭和29年の長女 佳織さんの誕生から中学入学まで(長男 知樹さんは誕生から小学四年まで)の子供の観察日記です。普段の日記から子供に関する部分を抜粋し、娘の結婚の際にプレゼントしたもの。
 山田風太郎東京医科大学出身なので、大雑把なラベリングでは理系男子となりますが、私は理系男子が子供に関して書いた文が大好物です。変に面白く書いてやろうという気負いがなく、少し冷徹で冷静な筆致での愛情ある文章にときめく。

 昭和のお父さんと言えば育児も家事もノータッチなイメージがありますが、居職ということもあり山田風太郎は「本当によく遊んでくれた父(佳織さんの言葉より)」だったようで、深夜に泣く赤ちゃんを抱きかかえながら仕事をしたという記述もあります。作家らしさ、医学部出身者らしさ、そして普通の親父らしさが混在した日記です。

子どもの顔を見たらユーゼンとして父性愛を生ずるかと思いしに、ちっとも生ぜず、上野博物館にある南米の土人の首を乾かし固めかためたやつみたいな顔を見ながら憮然としている。
11月6日(土)晴 赤ん坊、いまだその大脳は灰白質、白質分化せず、従って耳も よく聞こえず眼も見えぬはずなり。しかるに柔らかきベッドに置きて泣き、不器用なる父に抱かるれば泣きやむはなんぞ。決して肉体的快不快の問題にあるざるは明白なり、そもそも人間には大脳、感覚以外に孤独を怖れ人肌を恋う本能あるか。

 生まれたばかりの赤ちゃんをよく観察していることが伝わってきます。

 

もし佳織が死んだらどうするかと聞いたら啓子曰く「死んでも一週間くらいは抱いて寝る。」それから又曰く「あなたは風呂にゆかないから死んだらすぐ埋めてしまいます」と

 山田風太郎の戦後の日記には奥さんとの恋愛と新婚生活が描かれているのですが、いつもユーモアのあるご夫婦だったようですね。「戦中派復興日記」での啓子夫人との結婚前後の日記も味わい深くて大好きです。

 

夜五十嵐家で麻雀しようとしたれども佳織泣きわめきて啓子加わる能わず。従って麻雀出来ず。大いに腹を立て牌を佳織の頭に叩きつける。啓子曰く「三十三になって、九ヶ月の赤ん坊とケンカするのか」と。

 山田風太郎、赤ちゃんの頭に麻雀牌を叩きつける。赤ワインを飲ませるだけではなく、こういったインターネットがなくてよかったです的な記述もあります。

 

子どもの名、当用漢字にあって、字がきれいで、意味があって、発音が良くて、ほかに例がなく、しかもあまりヒネリ過ぎないものとなると困惑せざるを得ない。「知樹」とす。さてこの子の生涯の運命やいかに。

 山田風太郎、命名に頭をひねっています。いつの時代も命名の悩みは同じですね。
子供の教育や躾に関しては時々奥さんと喧嘩にもなっていたようです。これもまた、どの家庭でもよくある光景です。

よい学校にいれてやるのは、クレヨンを与えるに似ている。親としてはなるべくよいクレヨンを数多く与えてやるのが義務であろう。しかし、それを以て人生の絵のを描くのは、ついに子供の天性の技量である。
子供というものは、存在するだけで親はその報酬を受けている。テーブルの向こうに小さな赤い顔をならべて飯をくっている風景、午後になると佳織は学校から、夕方になると知樹は外から「タダイマー」と声はりあげて帰って来る声、それで充分である。


 子供を見つめる幸福が伝わってくる記述です。熱意と遊び心と愛情と冷徹が混在した、堂々たる育児日記。玩具や育児用品の値段も記されており、昭和中期の育児の記録としても価値があるのではないでしょうか。 

山田風太郎育児日記

山田風太郎育児日記