私を芸術家にした怪物たち―『センダックの絵本論』

『センダックの絵本論』を読みました。

センダックの絵本論

センダックの絵本論

 

 モーリス・センダックの絵本で最も知名度が高いものといえば、本邦においては『かいじゅうたちのいるところ』だと思われますが、絵本界の三大不気味書のひとつ『まどのそとのそのまたむこう』もセンダックの代表作です。三大不気味書ってはじめてききましたね。ほかの二作品が気になるところですが、ともかく、『まどのそと』は気色悪いゴブリン、氷の赤ちゃん、不在の父の手紙、虚ろな瞳の母と不気味の福袋みたいな絵本です。

まどのそとのそのまたむこう (世界傑作絵本シリーズ)

まどのそとのそのまたむこう (世界傑作絵本シリーズ)

 

そんな不気味な名作に登場する赤ちゃんと、その赤ちゃんのおもりを押し付けられた姉のアイダは何者なのか?そもそもこの不気味な話は何なのか?

大変に深い謎のようですが、センダックがかなりあっさりと答えを語っています。センダック自身による言葉だけで編まれた評論と随筆集『センダックの絵本論』にそれがあります。

もうひとつ考えていたのは、姉のナタリー―私より九つ年上で、私の世話をさせられていたナタリーのことでした。(略)私は姉の悪魔的な怒りを覚えています。一九三九年のニューヨーク万国博覧会で、彼女が私を置き去りにしたことも覚えています。その一方で、彼女が私を心から愛してくれたことも覚えています。ただ、両親がどちらも仕事に追われていて時間がなかったために、私は否応なしに彼女に押し付けられてしまったのでした。それが『まどのそとのそのまたむこう』の状況です。(略)

彼女は赤ん坊を愛しています。憎むのはほんの時どきのことにすぎないのです。最終的にはあの本は、アイダである私の姉への――とても勇敢で、とても強く、とても恐ろしく、私という赤ん坊を世話してくれた姉への、心からの捧げものにほかなりません。

ナタリーさん、評論の中でもたびたび登場しており、幼いセンダックのすぐそばにいつもいたのであろうことがうかがえます。

 

『まどのそと』はセンダック自身が大変気に入っている作品で「あの本のほとんどは、子どものときに私を脅えさせたものをもとにして作られてい」るそうです。例えばそれは幼い時に見た暴風雨にあった少女の出てくる本、そして1932年に起きたリンドバーグ誘拐事件。

飛行士リンドバーグの1歳の長男が誘拐された事件は当時「アメリカ人全員の共通の記憶であり、何にも増して私たちに精神的外傷を与えた体験のひとつ」であり、幼いセンダックは自分と誘拐された赤ちゃんをごっちゃにしていたようです。そしてリンドバーグ事件の恐怖から『まどのそと』は「あの本の中で、私はリンドバーグの赤ん坊であり、姉が私を助けに来てくれた」ことによってセンダックを解放してくれたのです。

この随筆ではその他にもセンダックの怖いものがいくつも具体的に挙げられています。両親、姉、リンドバーグ事件、古い映画、学校、そして電気掃除機。実は『かいじゅうたちのいるところ』のかいじゅうの正体も、センダックの身近にいる恐ろしいものだったのです。

それは多分、ブルックリンでしばしばくり返されたあのぞっとする日曜日の記憶――だれ一人として特に好きではなかった伯母や伯父たちが来るというので、姉も兄も私も正装しなくてはならなかったあの日曜日の記憶から出てきたのだと思います。(略)

ですから結局、「かいじゅうたち」はあの伯母や伯父たちであったようです。

 

『センダックの絵本論』は絵本論というだけあって、コールデコット論、アンデルセン論、ポター論、ウィンザー・マッケイ論などの数多くの評論が収められているのですが、なかでも印象的なのがウォルト・ディズニー論です。

ミッキー・マウスとセンダックは誕生年が同じで、名前の頭文字が同じ。当時山ほどいた子役の映画スター(シャーリー・テンプルやボビー・ブリーンのような)と違い子供に劣等感を抱かせることがない、最高の友であったミッキー。「燃えるように激しい生気に満ちた、おそろしく風変わりな顔」の「想像力に強い影響と刺激を与える」あのネズミ氏に強い友情を感じたセンダックは『まよなかのだいどころ』の主人公にもミッキーという名を与えています。

そして、第一の親友であるミッキーの、ディズニーの、その後の変貌への軽蔑もあらわにしています。

彼は通りの遊び仲間を見捨てて郊外住宅に住みつき、不恰好で心のない享楽主義者になってしまいました。それらの微妙な変化、ときには微妙とは言いがたい変化が、ミッキーを芸術の世界から商売の世界へと押し出してしまいました。(確かにミッキーは最初から商品ではありましたが、今では見かけからして商品そのものです。)

かつての親友ミッキーの堕落を語る時の鮮やかなこと。

センダックは『まよなかの』に登場する料理ストーブにミッキー・マウスを描きたいと思ったのに、ディズニースタジオに拒否されてムカついたという記録もあります(流石にそれは無理だよ、相手がディズニーだもん)。

センダックにとっては気に食わないミッキーの気質も「全米代表選手風の」「あのお国自慢的性格」となんとも味わい深い批判です。それはちょうど、よくアメリカという国に対して投げかけられる嫌悪とも似ています。アメリカが生んだセンダックが、アメリカを見事に批判しているようで、おもしろいのです。

『センダックの絵本論』はセンダックの作品をたのしむ道しるべでもあり、同時にセンダックの眼から見たアメリカ論として読むこともできると思うのです。

 

まよなかのだいどころ

まよなかのだいどころ

 

 

かいじゅうたちのいるところ

かいじゅうたちのいるところ

 

 

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