このうえなく高名で親愛なる父上様―『ガリレオの娘』

青コ~ナ~、近代科学の父、ガリレオ・ガリレイ~!赤コ~ナ~、ローマ教皇、ウルバヌス8世~!
科学と宗教の分裂、対立の象徴として、今なお語られる17世紀のガリレオの裁判、即ち彼の記した『二大世界体系に関する対話』で、聖書に反するコペルニクスの地動説を支持したとして有罪判決を受けたという事例。この裁判からイメージされるガリレオ像は正しき自然科学の申し子にして、教会の対立者です。有罪判決を受けて呟いたとか実は言ってないとか噂される「エップル・シ・ムオーヴェ(しかしやはりそれは動くのだ/それでも地球は動いている)」という言葉の力強さと高潔さに胸打たれる人も多いはずです。理不尽な教会と教皇ウルバヌス8世に対し、孤立無援の状態で戦った現代科学の師父ガリレオ超かっこいい。ガリレオ、右だ右!腹嫌がってるぞ!と応援したくなる。

しかし、ここでひとつの事実が。ガリレオ・ガリレイには娘があり、娘を修道院に入れています。愛娘はキリストの花嫁たる修道女。なにやら教会の対立者のイメージから大きく離れます。

ガリレオの長女の修道女マリア・チェレステが修道院から父に書いた124通の手紙から、ガリレオの人間像に迫ったのがデーヴァ・ソベル著『ガリレオの娘』です。

ガリレオの娘 ― 科学と信仰と愛についての父への手紙

ガリレオの娘 ― 科学と信仰と愛についての父への手紙

 

ガリレオ・ガリレイは生涯結婚はしませんでしたが、内縁の妻マリナ・ガンバとの間に二人の娘と一人の息子をもうけます。そして二人の娘がまだ12、13歳の頃に修道院にいれている。理由はいくつか推測でき、内縁関係の娘であることから結婚ができないと考えた、ガリレオの健康状態が優れない、次女リヴィアに引きこもりの病的傾向があった、男やもめとなったガリレオにとって娘の養育の協力者がいなかった、そしてガリレオの研究との対立者の企てを懸念していた、などです。

本書のタイトルたる『ガリレオの娘』とは、長女ヴィルジーニア(修道女マリア・チェレステ)のことであり、父であるガリレオ曰く「娘は、たぐいまれな知性の女性で、比類のない善良さを備え、私にこのうえない優しい愛情を抱いています」という凄い娘。現在彼女に関して残されているのは一枚の肖像画と父親宛ての124通の手紙だけですが、本書で紹介される彼女の手紙は驚くほどの美文で、常に父に献身する姿が想像できます。

健康状態が優れず、ワインを頻繁に飲む習慣のある父ガリレオを心配し、困窮する修道院での厳しい日課と勤めの合間に父のための繕いものをし、父と弟が喧嘩をした際はその場にいないのに仲裁に入り、ペストがイタリアを襲った際は祈りと舐薬を送ったマリア・チェレステ。厳しい修道院生活の中で、ガリレオが宗教裁判にかけられたことによる心痛もあり、彼女は33歳の若さで命を落とす。本書の中では彼女の手紙がガリレオの物語の要所で次々と登場し、その当時の生活と共にごく一般的なキリスト教徒であり、父親であり、研究者であるガリレオ像を浮かび上がらせてくれます。

手紙の中から読み取れるガリレオは、教会に対立する者ではありません。敬虔なカトリック信者であり、自然を研究することによって聖書と神の言葉に合致する真実が見いだされると深く信じていたようです。

ガリレオは、学問上の論敵を徹底論破するスタイルの学者であり、当時のしきたりから離れて大衆に分かりやすい口語文で本を出版するなどの点から敵対者も多くいた。ですが逆に支持者も多く、ルネ・デカルト、ピエール・ド・フェルマーをはじめとした研究者たちだけでなく、聖職者の中にも強くガリレオ支持を掲げる有力者はいたのです。孤立無援ではなく、赦免のためにローマに乗り込んでくる仲間がいました。ガリレオが自説を出版する際も、結構、根回しをしているのです。

また、教会も悪・即・火刑!というわけではなく、地球が動き太陽は不動であると断言するのならば聖書に対立するが、仮説として抱くのならば容認するというスタンスだったようで、これもイメージとは少し違っていました。

近代科学の父にして自然科学の代表闘士という役割を長く果たしてきたガリレオ・ガリレイ。しかし、その娘の存在から見えるのは、家族を愛し、教会と対立せず、極めて敬虔なカトリック信者という当時としては一般的な人間です。

短い生涯を通して常に父を愛し続けたヴィルジーニアが、修道院にはいる際に選んだ修道女名はマリア・チェレステ。「チェレステ」は「天界の」を意味します。星に魅了されていた父への共感を示したのでしょうか。